胸踊らせる仕掛け満載

第二次大戦中、ビルマは東南アジアの戦場になった。日本軍と英軍が、双方に味方したビルマ人を巻き込み戦いを繰り広げた。その末期、ビルマ本土とラムリー島を隔てるクリークに生息するイリエワニに襲われ絶命した日本兵についてのうわさが出回った。千名ほどの軍がワニが横行する水に入り込み、生き残ったのは二十名に過ぎなかったというものだ。一方、四百五十名が生還したという戦闘記録があり、ワニの仕業説にも疑問を投げかけている。年月が過ぎ、ほかの戦禍の前に影が薄くなってしまっていたこの逸話を、ひとりの独創的作家が「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」の名の下に小説化し、ここによみがえらせた。

陸軍に徴兵された角美久は、残酷で屈辱的な虐待に耐えなければならなかった。奴隷のような扱いと、体のきつさ、兵卒暮らしの息苦しさから逃れるため、角は早く士官に昇進しようと自らに誓う。あるいはそう信じただけだったかも知れない。だが、陸軍士官学校卒業生と比べれば、彼のような予備士官学校出など劣等扱いで、今や少尉になった角は、指令部から新たな命令を受け、自分はいまだ消耗品に過ぎないと悟るのだった。こうして守備隊員をビルマ本土へ撤退させる任務を帯び、ラムリー島潜入準備に取りかからざるを得なくなった角は、同行する小隊を選び、サブマシンガンを入手する。以前二度行われた救出作戦がいずれも失敗したことをわきまえ、同じてつを踏まないよう計略を立てると、作戦に使う漁船を手に入れ、武装し準備の整った部下と共に、ラムリー島へ旅立つ。

新兵のころから、春日稔は龍の木像がある神社の夢をよく見た。その中で仏陀が彼を導く。龍は悪を懲らしめる家来だから恐れるなと。だが泉水を口に運ぼうとした時、緑のうろこを輝かせた龍に突然襲われ、死を予感する。食い付かれる直前に目覚めると震えながら汗にまみれているのだった。悪夢とその意味を気にしながら、春日上等兵は軍務にはげむ。ある日、彼は泥と腐肉を合わせたような異臭を感じる。以前彼がミンデを訪れた時に初めてかいだものと同じ臭いだ。その時異臭について村人に尋ねた春日は、人食いワニの話を吹きこまれ動揺した。ワニなど今まで見たことなかったからだ。だが腐敗臭を調べ始めたこの日初めてワニに遭遇し、畏敬と恐れを感じた春日は、村人の話もワニを見たことも心にしまい込むのだった。

「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」は戦記物の典型だが、日本軍の視点から書かれている点がほかと異なる。また人を夢中にさせる本だ。マラリアや飢餓、極度の疲労に悩まされながら蒸し暑い東南アジアの戦場で耐える兵士の姿を、葛西は鮮やかな絵を見せるように見事に書いている。また、備えの十分でない状態で日本兵がいかに勇戦奮闘しても、銃剣や刀主体の武器では機関銃や戦車などの重火器に歯が立たず、圧倒されてしまう様子が詳しく記されている。それでも彼等は祖国防衛のため頑張りぬく。だが今まで見たことのない捕食動物から生きのびることはできるのか。

戦いたけなわになり、岸本隊長捜索のためミンガン・クリークに派遣された上官、富田に同行した春日は、岸本の飯盒と上級将校用のブーツを履いたまま引きちぎられた片足を発見する。一方、ラムリー島に潜入した角の小隊は、とある農村に行き当たる。しばらくその静けさに浴していると、突如近くのクリークからワニが身を躍らせ岸辺の牛を襲うのを目の当たりにする。こうして彼等はイリエワニのパワーと変幻自在さを初めて知るのだった。そのすさまじさに動揺しながらも、角とその部下は、迫撃砲弾が行きかう混乱の中、集結地点、ミンガン・クリークに向かう。

葛西はビルマ戦線の記録を用いながら、はるかなアジア南端の海岸線で繰り広げられた本物の戦いを書き上げる。またビルマ人が日本軍だけでなく連合軍とも戦火を交えていた様子を丹念に描く。とはいえ彼の芸術的自由は、戦争の真剣味、感動的な兵士の忠誠心、献身を損なうものではない。異文化の小説を楽しむひとりとして、私はこれを胸踊らせる仕掛け満載の読まずにいられない物語と見る。敵を倒す物語ではない。まったく好ましくない宿命を負わされ、敵はおろか水中の肉食獣からも生き残らなければならなかった男たちの物語だ。その間、彼等は自滅的な考えに打ち勝ち、自らを勇敢な忠義の男だと示していくのだ。


発表日:2007年5月10日
評者:パメラ・ジェネウェイン氏 (アメリカ合衆国、ミシガン州フェンビル市)
於:ロマンス・アット・ハート・マガジン

前頁  次頁


ホーム