ホラーではないが、恐ろしい

葛西泰行作「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」には、「第二次大戦の実話に鼓舞されて」との副題がついている。控えめな表現だ。実はこれ以上に周到なリサーチに基づいた小説を想像するのが難しいほどのものだ。参考文献のリストだけで三ページに及び、ワニ襲撃事件を扱った本のほか、1945年2月のビルマ周辺での日本軍作戦行動に関する日誌や物語が含まれる。このふたつの主題は一見不調和に思えるかも知れないが、葛西の序文はすぐに、「第二次世界大戦末期の1945年2月19日、ビルマ、ラムリー島で連合軍の包囲を突破し大陸へ脱出しようとした日本軍歩兵隊が、途中イリエワニに襲われ千名近くが命を落とした」と、この小説の企図を明らかにする。作者は自身の調査を行い、実際の被害者数はおそらくもっと少ない(何百も)と指摘しているが、この種の恐ろしい冒険がホラーに定義づけられることに異論をはさむ読者はいないだろう。

問題は、「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」をホラー小説として概観できないことだ。ホラーの約束事が何ひとつとして踏襲されていないからだ。カレン・ホールタネンは、著作「マーダー・モースト・ファウル:ザ・キラー・アンド・ジ・アメリカン・ゴシック・イマジネーション」(1998年ハーバード大学出版)のなかでホラーの様々な修辞法を規定している。仰々しい文体、暴力の写実的処理、恐怖、嫌悪、憎悪をかき立てるショック、不完全で断片化し、あるいはピーター・ストラウブの傑作「ゴースト・ストーリー」やトニー・モリソンの「ビラヴド」に見られる慢性的混乱を伴う説話法などについてだ。これらは不快感とともに不安感をあおり、読者を「絶句させる」のに用いられる。更に巧みな作品は、読者の現実感を揺さぶり既成の観念について疑わせるまでに至る。

以下に引用する主人公、角美久少尉とその案内役、ポンジーによる一場面に見られるような現実感のある会話、抑制された(もしくはせいぜいおどおどしているだけの)リアクションによって構成される葛西の話法は、むしろ歴史小説に属するものだ。流血シーン、及びその質感の欠落はいうまでもない。

 角は押し殺した怒鳴り声で、はやる隊員を制した。その最中も三八式小銃の散発的な発射音が続く。だが敵の応射は一向に始まらない。圧倒的優位に立つ敵に一発でも撃てば、それこそ雨霰のような弾が降り注ぐはずだった。何かがおかしかった。もし交戦していないなら、彼等は一体何に向けて発砲しているのか。
 いぶかる彼の耳にやがて奇妙な音が届いた。先程発射光が見えたマングローブから、銃声に混ざって、猿の叫び声のような不気味な音が伝わってきた。だがそれは、ジャングルで何度も聞いた猿の声とは、明らかに異なっていた。
 突然、脳裏ですべてが結び付き、角は体中の神経が凍るような感覚に襲われた。彼が聞いたのは人間の悲鳴であった。おぞましい結論を裏打ちするかのように、ポンジーが静かにつぶやくのが聞こえた。
「今、鰐の群が日本の兵隊を襲っている」

このシーンには全編を貫くスタイルがよく表れている。葛西の登場人物は、彼等が封じ込められた地に生息する「龍」よりも、戦争によってもたらされる心理的恐怖により関与している。血塗られた暴力を著しく欠く。それどころかこの「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」では、実質的にすべてのワニによる殺戮は物語の舞台裏で展開されるといってよい。

恐怖小説を待ち望むホラー・ファンがこの作品に満足するかどうか、はなはだ疑わしい。とはいえこれを、史実に立脚した作品、あるいは文芸主流作品を好む読者に薦めることに、何ら問題はない。今までで最も巧みに書かれた戦争小説(この場合はおそらく反戦小説と呼ぶのが適当か)ではないが、葛西には新人作家として、その堡塁を築く力がある。また「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」は、第二次大戦を扱った西洋の文学にはあまりなかった視界を開くものだ。たくさんの歴史研究家に、今まで教え込まれてきた日本兵のステレオタイプについて再考を迫るだろう。


発表日:2007年11月1日
評者:トニー・フォンシーカ氏 (アメリカ合衆国、ルイジアナ州ティボドウ市)
於:ネクロプシー

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