物語のほとんど一部始終に渡って私が気をもまされたのは、ワニよりむしろ敵(英印軍)の方だったというのが本当だ。これには驚かされた。なぜなら冒頭の「著者より」の章で、葛西自身が、千名近くの日本軍歩兵がラムリー島脱出の際ワニの歯牙にかかって死んだと述べているからだ。しかしそのワニは、終盤重要な役割を担うまで、全編を通じてほんの数回しか姿を見せない。私が作者なら、タイトルを変えたか、もっとワニのアクション・シーンを加えただろう。だがこの批判も、「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス」は総じて面白かったという私見を変えるものではない。
この本についてひとついえるのは、「敵」という言葉、またその戦時中の用法について考えさせられたということだ。角や春日から見れば私の同郷人は皆敵だった。一人のアメリカ人として、それを何度か思い起こされた。第二次大戦中の日本兵は「悪党」だと常に教わってきたからだ。葛西は、その日本兵、特に角と春日に人間性を与える優れた仕事をした。この本が日本兵の視点から書かれているので、私はそれを感じ取れるのだ。
私には角や春日を「邪悪な敵」と見なす権利はない。彼等は戦時のほとんどの兵士たちと同様に徴兵されたのであって、自ら進んで第二次大戦に参加した訳ではない。実際に参戦を決めるのは兵士ではない。万歳突撃や神風攻撃、あるいは戦時に起こる様々な残虐行為の発令を決めるのも兵士ではない。ほかの多数の連合軍兵士と同じく、角や春日は彼等の大義を信じた。そう教えられたからだ。「邪悪な敵」とは普通の兵隊の中に見つかるのではなく、大抵の場合、政治の殿堂や上級の軍指令部の中に見つかるものなのだ。この本はそこに気づかせてくれた。歴史ファン、そして第二次大戦に興味を持つ読者にお薦めする。