阿波国忌部(いんべ)氏直系の三木氏  
   
  忌部氏とは、日本書紀神代編まで遡り、天太玉命を忌部宿禰(すくね)を祖とし、天日鷲命  
   
阿波国忌部氏の祖としています。  
   
  齋部(いんべ)広成撰「古語拾遺」(大同2年=807年)によれば、天日鷲命の子孫は、阿波国を  
   
開拓して麻の播殖に従事し、その居住の中心域はこれに因んで麻殖(おえ)の郡名を負うに至る。  
   
 天皇陛下が代替わりした時の大嘗祭には、木綿(ゆう)・麁服(あらたえ)等を調製していたと。  
   
 三木氏はその直系の一人で、往古より御殿人(みあらかんど)として麁服を調進していましたが、  
   
南北朝の動乱で明治迄577年間中断し、大正より復活して現在に至っています。  
   
即位祭祀に重要な麁服は、古代ヤマト王権成立の祭祀に、後の阿波国忌部氏が大きく関わってい  
   
たと考えられ、皇室でも 「麁服は古来より阿波国忌部氏の織たるを用うる」という伝統があります。  
   
光明天皇からの三木重村宛叙任書(1345年)
   宛名は正式の「忌部」姓、連名の叙任書は異例。当時官職名を称するには朝廷より口宣案を頂く。