麁服調進を証する三木家古文書の一部

麁服(あらたえ)とは、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭で
のみ使用する「大麻の織物」で、古来より忌部直系の氏人が御殿人 
(みあらかんど)という身分で調進するものです。
  麁服は、大嘗宮の悠紀殿・主基殿供饌の儀で、天皇陛下が威霊を体得
される為に神座に 神御衣(かむみそ)として祀るものです。
 当初御殿人は、直系の氏人達が卜定により選定指名して、麁服神服
(あらたえかむみそ)を調製していましたが、既に鎌倉時代には御殿人
の家筋は、三木家等に固定化されていました。

  御殿人とは、麁服製作を統括し、出来あがった麁服を勅使の「荒妙の
衣使い」に進上し忌部4人を帯同、共に京師へ同道して、神祇官で保
 当日御殿人が神祇官より麁服を受け取り、大嘗宮へ供納する。(延喜式)
   次の勅使下文は三木氏村が麻殖忌部集団の長者をしていた時の文書
で、三木家が大昔より御殿人を勤めていた事を証するものです。
   
   神祇官勅使下文(1332年)
下す 勅使御殿人三木右近允(=氏村)事
右彼の右近允に於いては、往古より勅使
御殿人として課役を致す之上は、向後更
に長者等の濫妨を致すべからざる之由、
勅使殿仰せ下さ被れ候也、仍て執達件の如し
  正慶元年十二月一日  御代官(花押)
勅使神祇権少副(しょうふ)斎部(花押)  
 
    三木家麁服古文書で最も古いものは、1260年の亀山天皇大嘗祭です。
   麁服は、南北朝動乱で調進が中断されるまで、代替りの都度神祇官より
  太政官へ宣旨し太政官より太政官符・官宣旨阿波国司に対して発せ
  れ、国司はそれぞれの写しをもって御殿人三木忌部氏に麁服を依頼した
  のです。 三木家麁服古文書のうち、後醍醐天皇大嘗会の官宣旨案・
   太政官符案を例示します。  
     後醍醐天皇大嘗會  官宣旨案 (1318)
   
  
   麁服は、下向した勅使荒妙御衣使(あらたえのみぞつかい)」に進上して
 御殿人は共に京師へ同道し、麁服を神祇官に保管後、当日御殿人が受け取
 り直接大嘗宮へ供納したのです。(神祇官保管後以後の取扱い⇒延喜式)
                 
       後醍醐天皇大嘗會  太政官符案(1318) 
太政官符阿波国司
  使いとして従五位の下斎部宿禰親能
      神部貳人
右、従一位行大納言藤原朝臣師信宣す、
件の人荒妙の御衣使に差して發遣する事
件の如し、國宜く承知して件に依て之を
行へ、符到らば奉行(ぶぎょう)せよ、
右少辨正五位下藤原朝臣 在判、 正六位
上行右少史兼左衛門少尉高橋朝臣 在判
     文保二年九月廿六日