三木氏は、直系の忌部(いんべ)氏であって三ツ木いう地名に      
 因む苗字を帯びていますが、忌部姓がその本姓です。 
 上古以来歴代の践祚大嘗祭に、御殿人 (みあらかんど)という
 身分で、麁服(あらたえ)を阿波の忌部一族と調製 して供納、
 朝廷と深い繋がりを持っていました。
  三木家には、この様子を伝える鎌倉時代から南北朝時代に至る
亀山・後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明天皇の大嘗会に関する  御殿人 三木家当主
太政官符・官宣旨写し等の古文書を保有しています。  
 三木家の麁服調進は、南北朝動乱で明治迄中断し、その後復活して
 大正・昭和・平成・令和の大嘗祭に御殿人としての任を果たしています
 令和の麁服調進は、美馬市木屋平のNPO法人「あらたえ」が紡糸迄
吉野川市山川町の「阿波忌部麁服調進協議会」が織紝を分担協力し、
徳島県の伝統文化として、県内外有志の方々の物心両面でのご支援
・ご協力により完遂、三木家当主が御殿人として麁服を供納 しました。 
令和の麁服調進  
播種式    育成した大麻の抜麻 
 
        三ツ木八幡神社で初紡ぎ式          山崎忌部神社で織り始め式
 
           三木家安置の麁服           三木家出発の麁服
 
              麁服 出発              供  納