時 計 よ 廻 れ!



VEGITABLE STATE
 「桑田先生、クランケの状態はどうなんですか?」

 急を聞いて駆けつけて来た主治医の梅野が修一のカルテを見
ながら桑田に尋ねた。

 「その中谷修一君なんですが、喀痰による窒息状態が十分少
  々ですので何とも・・・」

 「ウン・・・で、自発呼吸は?」

 「はい、心臓の方は問題ないようですので、様子をみて、レ
  スピレーターを取り外す予定です」

 「処置はどうですか?」

 「気管切開後、マンニットール300CCにデキサシェロソ
  ン25ミリを点滴で落としていますが、何か他に?」

 「いや、十分です。あとはショックの有無がポイントですね、
  解りました。桑田先生、しばらく私が詰めていましょう、
  おそらく、ショック症状が出て来るでしょうから・・・、
  対策を練りましょうか・・・・・」

 淡々とした梅野の言葉ではあったが、その静かな口調の内に、
クランケに対する強い愛情が込められているのを感じた桑田は、
ホッとしたようにタバコに火をつけ、紫煙を胸の奥深く吸い込
んだ。

 「あのー、桑田先生・・・」

 ナース・ステーションのガラス窓越しに、修一の姉の不安そ
うな顔が桑田を捜していた。喫いかけたタバコを灰皿に押しつ
ぶしながら桑田は、詰め所から出て行き、修一の姉を医長室へ
招いた。不安で一杯の表情をかくそうともせず、修一の姉はじっ
と桑田の目をのぞき込んでいた。重い沈黙が続いた。

 「あのー桑田先生、弟は、弟はどうなんでしょうか、大丈夫
  なんでしょうか?」

たまりかねたように修一の姉が尋ねた。

 「主治医の梅野先生ともよく検討してみなければならないの
  ですが・・・、今の状態は決していいとは言えないと思い
  ます。過去のデーターから推察しますと、かなりむずかし
  い所に来ていると言わざるを得ません」
 「先生、修一はどう悪いんでしょうか?」

 「いいですか、これはあくまで過去のデーターをみての話し
  ですから、そのつもりで聞いて下さい、いいですね!」

 つとめてショックを与えないように桑田は言葉を選びながら
続けた。

 「修一君の場合、痰を喉に詰めて、凡そ十分間、呼吸が停まっ
  たわけですが、そのために、脳への酸素補給が断たれ、脳
  の一部が死んでしまった可能性があると思われます。一般
  的に言われていることですが、呼吸停止の限界時間、つま
  り、脳に与える影響があるかないかというギリギリの時間
  は十分以内ということですから、十分間の呼吸停止という
  のが大変むずかしい事態になっているんです・・」

 「呼吸が十分以上止まると全くダメなんですか・・・」

 「そうですね、一般的には脳死、心臓は動いているが、脳は
  死んでいる、という状態になり易いとされています・・・」

 「じゃあ、修一は植物人間に!」

 「いや、まだそう決まったわけではありません、いわゆるヴェ
  ジタブルステイトの可能性があり得るという・・・」

 「先生、助けて下さい! お願いします! 手や足が動かな
  くてもかまいません! ちょっとぐらい不自由な所が残っ
  てもいいんです。だから先生、修一を助けて下さい、お願
  いします先生!」

 「お姉さん、まだ修一君はダメと決まったわけではないんで
  す。ただ、最悪のケースを想像してお話ししただけなんで
  すから・・・それに、梅野先生もついておられるし・・・」

 言いながら桑田は虚しかった。十中八、九、いや、九十九パー
セント、彼、中谷修一は回復しないであろう、もし、もし回復
することがあるとすれば、それは奇跡以外の何物でもないであ
ろうということを桑田は知りすぎていた。

 「とにかく今は、あなたや、お母さん、周りの人がしっかり
  修一君を看てあげることです。まだまだこれからいくつも
  大変なことがあるんですから、気を落とさないで頑張るこ
  とです。私も梅野先生も、出来る限りのことはするつもり
  ですから。いいですね!」

 そう言って桑田は姉を送り出した。