あ と が き



相島 貴英
 この「哀・犬・歌」は、パソコン通信の中でも大手の商業ネ 
ットの個人ボードで書き始められ、そこから仲間たちで作った
草の根BBSに移行し、現在も書き続けられている五色台の野
生児たちと二階堂さんの心の交流を描いた物語りです。

 私は彼とパソコン通信という文字だけでコミュニケーション
をとるメディアで知り合いました。早い時期に一度面識を得た
のですが、その後若干の空白期間があり、この野生児たちの物
語が連載されだしたことで再び出会い、彼の透明感のある文章
に誘われるままに五色台を訪れ、彼とともに野生児たちに給餌
を行い、「哀・犬・歌」に書かれている文章と寸分違わぬ事実
を目前にして、自分のノラたちへの想いが大きく変化したので
す。

 彼はアナウンサーであり、決してプロの物書きではありませ
ん。しかし何故か太い指でカタカタとキーボードを叩き、打ち
出したであろう文章に、心が洗われ勇気づけられる想いがする
のです。

 この物語りを読んで下さった方が、どのような感想を持たれ
るのか私には分かりません。ただ持病のために五十メートルを
走りきることのできない彼が、何故二日とあけずに五色台を訪
れるのか、ノラたちに対して同じ想いを持つ方ならきっとご理
解いただけると思います。

 さて五色台ですが、「哀・犬・歌」に書かれているように、
豊かな自然と風光明媚と言える素晴らしい景色とを合わせ持つ、
ノラたちが一人の男から優しさを受け取り、小さな命の火を燃
やし続けるための絶好の場所です。


 ここで多くの犬たちが捨てられ、誰に看取られることなく命
を散らせています。私たちと同じ人間の誰かがここで犬を捨て、
ノラという特殊な犬を作り出しているのです。

 罪のない野生児たちに私たちは何をしてきたでしょうか。ノ
ラは危険だという誤った常識の元に、石つぶてを投げ、或いは
捕獲し、罪を重ねるようにノラたちを自分の視野から消そうと
しています。


 近年動物愛護が叫ばれ、少しずつではありますが動物をとり
まく環境が良くなってきました。しかしこの波も五色台の野生
児たちには届いていません。常に捕獲される危険性を感じなが
ら、人目を避けるように生きています。しかしこのように感じ
るのも私という人間の勝手な思いこみかも知れません。二階堂
さんの前ではどの犬たちもいきいきとして個性的で、与えられ
た以上のものを二階堂さんに返しているようです。
 五色台に二階堂さんによってクロと名付けられたノラがいま
す。この犬は二階堂さんが訪れると大きく尻尾を振って、体全
体で喜びを表現しますが、一メートル以内に近づくことはあり
ません。

 離れたところにいても二階堂さんが口笛を吹けば飛んできま
す。でもこの一メートルが変わることはありません。しかし澄
んだ優しい目で二階堂さんを見つめ、二階堂さんが車を走らせ
るまで側を離れません。

 それどころか車を走らせても帰らないでというように後を走っ
てついてきます。これが世間が危険と言っているノラの姿なの
です。

 或いはコロ。この犬はもっと極端で、知らない人が見ればきっ
と二階堂さんに飼われている犬だと錯覚するでしょう。車から
二階堂さんが降りたとたんにお腹を向けて尻尾を振ります。餌
がほしいから従属の体制をとているのではありません。一年以
上の歳月をかけて培ってきた信頼関係が、コロをそのようにさ
せているのです。

 よく言われることに、「成犬は懐きにくい」というのがあり
ます。この言葉がノラの里親になろうという心優しき人をして
も、成犬を引き取ることを躊躇させる要因になっています。私
はこういう人にこそこの「哀・犬・歌」を読んでほしいと思い
ます。犬とは元来人と共に生きるように運命づけられている動
物なのです。それは子犬であっても成犬であっても同じことな
のです。生きることの辛さも楽しさも、そして人間と家族とし
て生きていくことのできる幸せを理解できるノラたちこそ、私
たちの最高のパートナーとなることでしょう。

 私はこの五色台と二階堂さんのおかげで、ノラという素晴ら
しい仲間を得ました。そしてノラたちと共に生きる決心をした
とき、「俺たちもノラ犬なんだ」と言ってくれる友人たちとも
巡り会うことができました。それがこの「哀・犬・歌」に文章
を寄せてくれた人たちです。

 「人は人の背中を見てついてくる」まさに二階堂さんの大き
くて優しい、そして哀しい背中を見た友人たち。今、それぞれ
にそれぞれの住む地域で、自分にとっての五色台を始めていま
す。ノラ犬にノラ猫に、そして動物たちに熱い想いを寄せる野
良たちです。