頑張れ、野生児たち



向井 浩
 五色台という名前を聞いて、素晴らしい景観を想像していた。
事実ネットオフに参加し、夏のほんの一瞬ではあったがこの目
で直接見た景色も素晴らしいところだと感じた。その日は一面
の曇天で満足できる自然条件でなかったが、瀬戸内海国立公園
を形成する一部であり、周囲には四季を彩るであろう花木があ
り、海から吹き上げてくる爽やかな風と共に夏の濃緑を呈して
いた。

 この自然の中に人間に見放され、遺棄され、そして放置され
た野生児という呼び名で語られている犬たちが息づいている。
そこには二階堂さんの手によって書き続けられている「五色台
シリーズ」そのままのノラたちがいた。

 彼らが私に生涯のすべてを語ってくれるとすれば、どのよう
な話をしてくれるのだろうか。ふと、そんな想いが胸をかすめ
た。いまにも人間の気まぐれや身勝手さなどを、滔々と語り出
しそうに思える。だが悲しいかな野生児たちの声は、我々には
理解できないであろうとも思った。

 彼ら野生児たちに、例えひとときであろうとも満足感を味わ
って欲しいとの想いから給餌活動をしている二階堂さんの心暖
まる行動を間近に見ても、なぜか野生児たちに思いがいってし
まい、給餌活動を二階堂さんがさせて貰っているのではないの
だろうかと感じた。


 一ヶ月後に再度五色台を訪れた。天候に恵まれたせいもあっ
たのだが、景観は前回よりもさらに素晴らしく、吹いてくる風
は爽快な気分にしてくれたが、私が肌で感じた自然環境の素晴
らしさがあっても、野生児たちにとっては命脈を維持してゆく
のには厳しい環境にかわりはない。

 この日は前回の給餌にきたとき出会えた野生児に逢うことが
できなかった。野生児たちの本能による身の危険を察知しての
ことなのか、それとも一瞬の憩いを貪っているのか判断できな
い。

 でも必ずこちらの行動を見てくれているものと思いながら二
階堂さんの給餌の準備を見ながら少しだけの手伝いをしたので
ある。
 その一方でわが家の飼い犬ハチに思いを馳せた。もし彼がこ
のような環境に放り出されたらどのように生きて行くのだろう。


 野生児たちの逞しさを羨みながらむなしく命を縮めるばかり
かも知れない。庭で寝そべる満足げなハチの姿を重ね合わせた
とき、野生児たちへの思いがままならないことに対して、一層
の非力さと不安とともに悲しさが脳裏をよぎったものだ。

 
 五色台の野生児たちに生きていることの喜びを精一杯感じて
貰いたいと思う反面、人間のエゴによって野良にされ、命さえ
ゴミ同然に処理をされてしまう酷い現実が厳然として存在して
いるという事実が胸を突き刺す。

 この錯綜した現代社会の中で野良と呼ばれる犬が一頭でも少
なくなり、同じいのちを持ったものとして、犬も人も、お互い
が心から信頼しあえる社会を築いてみたいものである。

 決して簡単なことではない、しかし、そこに温かい血の通っ
たいのちがある限り、小さな力をふりしぼって理想への階段を
一歩半歩と登り続けることでしかないのであろう。


 哀しく孤独な努力の連続に耐え続けること、その中に彼ら五
色台の野生児たちの本当の優しさと生きることのすばらしさが
見えてくるような気がする。夢の国がいつかできることを心に、

 頑張れ五色台の野生児たち!