狼の研究者 平岩米吉

動物文学会主宰・平岩由伎子

(3)
 父と一緒に出かけた思い出はいっぱいあります。中でも父の
晩年になってから、確か昭和五十三年の暮れのことでした。朝
日新聞社から依頼されて、港区伊皿子(現在の三田、高輪あた
り)の発掘現場へ父と行った時のことは忘れられない思い出の
一つです。

 そこは工事中、たまたま遺跡が発掘されて話題になっていた
ところなのですが、遺跡とは別の崖の上に江戸時代の犬猫の墓
らしいものが見つかったというのです。

 父は工事現場というのでめづらしく洋服でゲートルを巻いて
出掛けました。

 しかし、それでも現場へいくと、そこは深く掘り下げてあり、
学生たちが働いているのが見え、犬猫の墓があるという場所は
私たちの立っているところからはずっと高い、掘り残しのせま
い崖の上で、危なっかしい足場板が幾段にもかけ渡してありま
す。

 私たちが調査に来たこと、崖の上のお墓を見たいのだと言う
と、ヘルメットを着用してもらわねばダメだと言われ、父と私
はヘルメットを借りて足場板を登りはじめました。父は腰を痛
めたあとだったので、私はおっかなびっくり、父の後について
いきました。でも父は思ったより身軽く犬猫のお墓に辿りつき、
墓石に刻まれた文字の読み取りにかかりました。

 「畜類転生」という文字には飼い主の願いが伝わってくるよ
うでした。「これは狆だな」「これは猫だ大奥のペットとして
大切に飼われていたのだろう」と一つ一つ記録をとり正面、側
面、裏面と写真を撮っていきました。

 そして、やっとその作業が済んで、ほっとした私がカメラを
収まうためにいじっていると、突然、父が「まだフィルムは残
っているかな」と言ったのです。何か撮り残しがあったのかと
いぶかる私に、何と、父は自分を撮ってくれと言ったのです。
だいたい、写真を撮られることなど好きではないのに、作業服
姿でヘルメットをかぶって、へんな格好でと私は思いましたが、
言われるままにヘルメット姿で崖っぷちの石に腰かけた父にレ
ンズをむけました。
 父は気性の激しい一面、シャイで照れ屋なところがあって、
私たちが外出先などで偶然父と出合ったりすると、少し困って、
照れ臭そうに帽子をちょっとつまみあげて挨拶を返すような人
でした。

 その時のファインダーの中の父も、やっぱり真面目な顔をし
て口を結び、少し照れ臭そうに横目をしていました。

 今でも、その時の父の顔、父の表情を思い浮かべると、私は
いとおしさとなつかしさに胸がいっぱいになってしまうのです。


 父は、最晩年になって、犬科、猫科の研究を次々に纏めてい
きましたが、それまでにも、戦前の昭和十七年には「犬と狼」、
動物文学としての「私の犬」、戦後になって昭和三十一年「犬
の生態」、昭和四十七年に「犬を飼う知恵」を出したあと、昭
和五十一年から「犬の行動と心理」、昭和五十六年「狼−その
生態と歴史」、昭和五十七年に「犬の歌」、昭和六十年には
「猫の歴史と奇話」を出版しています。

 そして、これは文学や学問上の仕事ではありませんが、昭和
三年に日本犬の保存運動に加わった父は、昭和四十六年と六十
一年に日本猫の保存運動を呼びかけています。そして終生かか
わりを持ち続けた連珠では「銀月必勝法」の改訂版を昭和六十
年十一月に出しています。これが父にとっては最後の出版物に
なりました。

 昭和九年六月に創刊された動物文学会の機関誌「動物文学」
は父の没後、日本猫保存運動とともに私が引きついで現在に至
っています。


  財団法人日本動物愛護協会「動物たち」 転載許可済