珍しく暗い夜であった。二週間ほど前に痛めた左脚大腿骨関
節部の痛みがやっととれ始め、子供たちとの散歩ができるよう
になった。
病状を気遣って夜の散歩係りを引き受けてくれていた友人の
お嬢さんが、今度は私の介添え役を務めてくれる。左手に少し
ばかり格好良く拵えて貰った杖を持ち、いつもは右手にしっか
りと握っている二本のリードを今夜は介添えの娘さんに預け、
ハーフガウン姿で勝手口を出る。
水銀灯に照らされた夜の公園は静であった。風もなく、冷た
さもない夜が目の前一杯に広がっている。考えてみれば、ここ
十日ほどは局への出退以外は外に出たことはなかった。
からからに乾ききっていた刑務所の塀沿いの散歩道にはいつ
の間にか青々とした雑草が葉を揃え、水銀灯の周りを飛び交っ
ていた夜の虫たちの姿も羽音も消えていた。
歩く度に蹌踉けそうになっていた左脚の痛みも今夜は殆ど襲
ってこない。リードを外して貰ったベンジャミンと蘭が、漆黒
の中を雑草をかき分けて走っている音が耳に届く。
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「二階堂さん! 何でこんなに元気に走るんでしょう?」
「えっ?」
「だっていつもはタランタラン、フラリフラリとしか歩いて
くれないのに、今はものすごく嬉しそうに走ってます」
「そう……、嬉しいんだろうねえー……」
荒い息づかいだけが耳に届いてくる。桜並木の下の暗闇の中
を二頭がじゃれながら右に左に疾走しているらしい。黒い雲の
間から淡い星明かりが地上を時折照らし出している。
そのほんのちょっとした明かりの中に家々の勝手口を一軒一
軒丁寧に覗き込みながら父親の匂いを全身に受けた二頭が浮か
んでは消え、また木の下に黒い影と共に浮かんでくる。
石榴の木のこんもりと茂った葉の間から小さな小さな青い実
が顔を覗かせていた。
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