蘭ちゃん、蘭太郎!



8月13日
 「蘭、蘭ちゃん! 蘭太郎!!」

 尻尾を下げ、背中を丸めて眼をしょぼつかせながら蘭ちゃん
がにじり寄ってくる。悪戯が酷いとき、何度呼んでも側にこな
いときの特効薬である。
 
 好奇心が強く、人一倍、いや犬一倍甘えん坊で独占欲の強い
蘭ちゃんに私が甘えるときの呼び方であると言った方が正確か
もわからない。十キロ少々の重さは腕の中でそれほどの負担に
なるものでもなく、丁度赤ん坊を腕の中に抱いたのと同じ格好
になる。

 左利きのせいでもあろう、頭を左の腕に、右手をお尻に回し
たスタイルは完全に人間の子供をあやしている姿そのものであ
る。その抱き方のせいでもあるのだろうか、家の子供たちは全 
員左前肢でお手をするのである。
ワタシハ 蘭!
 ソファーの上でお腹を天井に向け、恭順の姿勢のまま、尻尾
だけは激しく左右に振りながら甘えるチャンスをうかがう蘭ち
ゃんと、何とか反抗させようと耳を噛んだり足を引っ張ったり
と、思いつける殆どの悪戯を繰り返してみる。小さく啼き声を
あげ、口を開いて咬む真似をするだけで抵抗はほとんどない。

 半開きの口の前に鼻を持っていっても噛んではくれない。前
肢を噛んでみる。やはり小さな声を上げ咬む真似をするだけで
ある。

 「私の時は本気で咬みにくるのに・・・・・!」

 半分笑った眼で、半分本気で女房殿が続ける。

 「蘭助! お父さんを咬みなさい・・・・・」

 腕の上に首を載せた蘭ちゃんが余計にひっついてくる。こん
なやりとりにすっかり慣れてしまったのだろうベンジャミンが、
廊下の涼しい場所で顎を前に突き出し、前肢も後ろ肢も投げだ
した格好でこちらを見ながら眼をしょぼつかせている。
 右膝が曲がらない蘭ちゃんの代わりに、右顎から頬までを前
歯で柔らかく噛んでやるのが日課になっている。眼を細め、息
ができないくらい強く頬を押しつけてくる蘭ちゃん。


 痒いところが掻けなかった蘭ちゃんの気持ちが解るような気
がする。少々しょっぱい味がするし、ときどきは蘭ちゃんの毛
が口の中に入り噎せることもあるが、これも親の努めなのだろ
う・・・・・。

 散歩疲れと夜更かし癖の親父殿に付き合いすぎた蘭ちゃんが
ソファーで上向きになったまままどろみ、やっとやきもちやき
の蘭ちゃんの眼から逃れられたベンジャミンが、膝の上の特等
席を狙って目尻を垂らし、口を半分開けた笑い顔でにじり寄っ
てきた。