おちびちゃん!



8月6日
 主人に抱かれて予備診察台の上でじっと座って待っている小 
さな雑種犬がずっと気になっていた。

 患蓄の多いこの動物病院では三十分位の待ち時間は当たり前
のことである。待合い室のソファーに座って順番を待っている
主人の正面に座り、微かに動くこともせずに主人の顔を見つめ
ていたこの小さなワン君がいつも心のどこかに存在していた。
ポメラニアンと殆ど変わらない大きさの柴犬である。

 昨日の診察のときであった。待合い室で偶然隣り合わせに座
ることになったこの小さな柴犬の飼い主と話をする機会に恵ま
れたのである。

 「小さくておとなしいですねぇ!」

 「はい」

 「おいくつですか?」

 「もう九つか十になります」

 「じゃあ、家のももちゃんと一緒だ……、具合が悪そうです
  けど、どうしたんですか?」

 「フィラリアで、もう永くないそうです……」

 伏し目がちに答えてくれたお嬢さんの大きな目には涙がこぼ
れんばかりに溜まっていた。何も語りかけることは出来ない。
待合い室の床に座り、お座りの姿勢のままじっとしているおち
びちゃんの腹部をそっと触ってみる。

 腹水でパンパンに膨れ上がった腹部が床に届きそうであった。
背中から尾部にかけてゆっくりと撫でる。膨れ上がった腹部と
は対称的に背骨が浮き出ている、胸骨も……。脱水症状もかな
り進んでいるようである。つまみ上げた皮膚がなかなか元に戻
らない。

 「殆ど食事をしなくなりました……」

 「乳鉢で赤身の肉をボイルしたものをすり潰して注射筒で飲
  ませてあげたらどうですか?」

 「はい……」

 「大丈夫ですよ! 頑張ってくれますよ!」

 急激な腹部の膨満から既に胸水も溜まっていることは容易に
推察できる。外見上は正常な呼吸に見えるものの、恐らく肺機
能は半分以上消滅していることであろうし、脱水症状の進行具
合からも、食物の自力摂取などの意志もほとんどないのであろ
う。「頑張れ!」そう言いながら頭を撫でている私の方を大き
な瞳で静かに見ている。

 「左肢も悪そうですね!」

 「ええ、産まれたときからこうなんです」

 「そうですか、でもかわいい顔で頑張ってますから……
  しっかり看病して下さいね」

 診察室に呼ばれたおちびちゃんが、左肢を挙げた三本肢でゆ
っくりと歩いていった。あと何度このかわいい顔をしたおちび
ちゃんに逢うことが出来るのだろうか…………