大五郎去勢手術



8月26日
 八ヶ月齢と十日目を迎えた大五郎君、ちびや玲、そしてもも 
に刺激されてそろそろ大人の行動をとり始めそうな気配が濃く
なってきていた。できることなら去勢などという乱暴なことを
しないままに育ててやりたいと思うのだが、狭い庭の中に既に
五頭のワンちゃんたちがいる現状を考えるまでもなく、これ以
上家族が増えることは物理的にも共に暮らすことの限界を超え
ることであった。

 午前九時半、妻君の腕に抱かれて助手席に乗り込んできた大
五郎君、朝のラッシュの中をのろのろと走る車にも酔うことは
なかった。里親にもらわれて行くことになっていた冬の日の午
後住み慣れた五色台の住居を後にしたとき、そして里親希望者
が悪戯電話であったため再び五色台の胡桃の元に帰ることにな
った日、また晴れて二階堂家の次男坊として迎えられた日と都
合三回のドライブで車には慣れたのであろう。

 五色台の駐車場と二階堂家の庭の中しか知らない大五郎君、
相変わらず外界に出ると凍りついてしまう。助手席で抱かれた
まま外を見ようとも、姿勢を変えようともしなかった。


 動物病院に着き待合い室のベンチに座っていても、凍り付い
たままである。簡単な検査の後入院室へ。背中を丸め心細そう
な目つきで見つめている大五郎を後に帰宅。午後五時過ぎに迎
えに行くまでの別れであった。


 手術自体はガス麻酔で行われるし、恐らく一針か二針の縫合
であることから、それほど心配ではなかった。外に出たことの
ない大五郎がいつまでも一人でいることの方が大きな心配であっ
た。とは言え、こればかりはただ時間の過ぎるのを待つ他はな
かったのである。

 ところが父親の私が一番心配性だったようである。局を休ん
だのである。パソコンに向かっていても、ニュースを見ていて
も、庭の子供たちと遊んでいても、何も手につかなかったので
ある。時間の経つのが恐ろしく遅かった。

 午後五時十五分、バスタオルにくるまれて出てきた大五郎を
見たときやっと大きな息を吐くことができた。傷口の出血も全
然ない。まだ麻酔が効いているのであろう、目つきが少しばか
りぼんやりとしているようである。泣き声もあげようとはしな
い。朝と同様、妻君の腕の中でじっとしたままである。
 自宅に帰りベンジャミンと蘭ちゃんの出迎えを受けた途端、
父親の太郎そっくりの、背中を丸め背伸びをするような格好で
爪先立ちになり、精一杯尻尾を振りながらベンジャミンの顔を、
蘭ちゃんの顔を舐めまわして喜びを表現したのである。麻酔の
せいでまだ多少後肢がふらつくのが少々痛々しかった。

 午後十時、食欲がなかったための遅い夕食をとり始める。右
横に蘭ちゃん、正面にベンジャミンそして左横には大五郎君。
鳥肉を鼻先まで持って行くと大五郎君、ぱくりと口の中へ。教
えたわけでもないのに箸を噛まず上手に肉だけを、それもゆっ
くりと口の中へ運ぶ。

 食欲が出てきたようだ。鳥肉、おでんのちくわとてんぷらそ
して新節を綺麗に平らげてくれる。さてこれからが大変であっ
た。かなりの甘えん坊であるということは解っていたが、まさ
か術後これほど激変するとは想像もしなかったほどの変化が、
それも直ぐに現れたのである。

 私が書斎の椅子に座るとその直ぐ横に、トイレに行くとトイ
レのドアの前に、風呂に入ると何と中までついてくるのである。

 とにかくどこかへ私が移動するとむっくりと起きあがり移動
先までしっかりとくっついてくるのであった。寝るときも同じ
である。階段の踊り場で通せんぼをするベンジャミンの体の上
をおそるおそる跨ぎ、寝室のベッドサイドににじり寄ってきて
顔を見つめる。

 ちょっと目線を外すと、ぽんとベッドに跳び乗ってきて脇腹
にぴったりとくっついてくる。暑くなるとベッドから降り、ま
た上がってくる。上がってくる度に眠っている私の顔を覗き込
み、ぺろぺろと深夜の濃厚キスで目を覚まさせるのであった。

 移動する先々で横に座り或いは寝そべった姿勢で私の顔を見
つめ気配を窺う大五郎の姿に、五色台で今なお野生児として過
ごしている太郎や権兵衛、所在が解らなくなったままの母親の
胡桃とおばあさんのミルクのあの人なつっこい姿が重なってき
ては消え、また重なってくるのであった。

 遠い昔のことのようでもあり、また再び訪れてくる哀しみと
哀しみに挟まれた闘いの日々のことでもあるように想える。

 大五郎 八ヶ月齢と十四日・・・・・