朝の診察室



7月28日
 中年のご夫婦とお嬢さんの三人が小さな診察台を取り巻いて
心配そうに家族の一員であろう大型の秋田犬の雑種を見つめて
いた。

 獣医師と助手の二人が難しい顔をしたままで、横たわってい
るワン君の診察をしている。尿道に挿入されたカテーテルの先
端から勢いよく尿が大型の膿盆に排泄されている。
あまりの勢いに膿盆の表面の液体が白く泡立っていた。

 背骨の周辺を触診していた先生の表情は険しかった。三人の
家族も目線をワン君の上に落としたまま一言も言葉を交わさな
い。緊迫した空気が診察室から待合い室に流れてくる。口輪を
入れられているワン君が時折哀しそうに呻く。

 「よしよし、…………」

 ご主人であろう痩身の男の人がワン君の頭を撫でながら心細
そうに呟く。誰も喋ろうとはしない。

 何本かの筋肉注射を終えて先生が初めて口を開いた。

 「痛み止めの座薬をお渡ししておきます。痛んでいるようだっ
  たら挿入してあげて下さい」

 「はい、……」

 「暫く様子を見なければ何とも言えませんが、このままの状
  態で動けないようでしたら楽にしてあげることも考えない
  といけませんね! その覚悟だけはしておいてください」

 診察中に急死した野良の背中を撫でながら懸命に涙が流れる
のを堪えていた動物好きの優しい先生が、努めて感情を抑えた
声で告げていた。
 膝の上で甘えている「もも」を見て隣の椅子に座っていたご
婦人が話しかけてくる。

 「どうしたんでしょうか?」

 「多分、脊椎に腫瘍が出来ているのかヘルニア……脊椎損傷
  かもわかりませんね……」

 「可哀想に…、お宅のお嬢ちゃんはどうなさったんですか?」

 「姉妹でじゃれていて背中を痛めたらしいんです、下半身が
  麻痺してますから……」

 「かわいいお顔をして、あまちゃんですねぇ……」

 「はい、内弁慶で困ります」

 他愛のない会話を交わしながらも、目は診察室から離れなかっ
た。時折聴こえてくるうめき声が堪らない。三十キロはあるか
と思える大型のワン君を両手で抱き上げてご主人を先頭に家族
が帰っていった。診察台に「もも」を横たえながら尋ねる。

 「先生?」

 「ウン…………」

 それ以上訊くことは出来なかった。同じような症状でも、導
き出される結果には大きな落差がある。動物病院で繰り返され
る歓びと哀しみの交錯した生命のドラマ! どの子も元気になっ
て欲しい……どんな子も少しでも長く幸せな刻を送って欲しい!

 生命の灯火の消える瞬間を心ならずも垣間みることの方が遥
かに多い動物病院の診察室で愛娘を膝に抱きかかえながら……
独り祈る…………