日中のうだるような暑さからは想像もできないほどさわやか
な風が身体を取り巻いている。自宅裏の公園をヨロヨロと歩い
ているももちゃんの後をしっかりガードしながら周囲を見渡す。
讃岐の低い山々の樹々はこの夏の渇水でかなりの所で茶色に
変色し始めていると報道されているが、公園の樹々は緑で一杯
であった。
水銀灯の下で長い影をひきずりながら歩いていたももちゃん
がふと立ち止まり周囲を見回す。昨日辺りから食欲もかなり旺
盛になりよく動くようになってきたももちゃんが急に腰を落と
す。
両後肢を折り曲げ、お尻が殆ど地面に着くような形で放尿を
始める。もう終わっただろうと思ってももちゃんの顔を見つめ
ても、まだしゃがんだままである。
地面に黒々としたシミを残してももちゃんがまた歩き始める。
右後肢は相変わらず引きずったままで、左後肢もときどき甲が
地面を指している。
診察室の横に置いているハートモニターからの音が耳につく。
上限二百五十、下限零にセットされているハートモニターのブ
ラウン管に映し出されている波形は規則正しく山と谷を描き出
している。
三メートルほど離れた高圧酸素室の中で横臥しているケアー
ン・テリアの胸に装着された無線機から送られてくる心拍数は
百五十を境に上下している。
酸素室の中のテリアは殆ど動かない。心拍数の割には呼吸は
ゆっくりとしていた。目を閉じたまま、腹部だけが上下に動い
ている。かなり危険な状態にあることだけは伝わってくる。
下半身の四ヶ所に十センチ以上はある畳針ほどの太さの治療
針が射し込まれ、その先に電極を繋いでももちゃんの治療が始
まる。
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パルスが送られてくる度にももちゃんの両下肢と下半身がぴ
くっぴくっと跳ね上がる。もう慣れたのであろう、診察台の上
でおとなしく治療を受けているももちゃんは動こうともしない。
刺激が強すぎてお漏らしをすることも時折あった。
「この子は本当に我慢強い子ですねぇー」
「家でもそうです」
「病院にきてから怒ったことが一度もない!」
「家の子供たちはみんなそうですよ……」
「ベンちゃんは違うでしょ……」
「いいえ、一番聞き分けが良いのがベンジャミンですよ!」
「じゃあ内面が良いんだ……」
「先生が脅すからですよ……」
「いいえ、絶対内面が良いんですよ!」
ハートモニターの心拍数が百四十前後にまで下がってきてい
た。病状を訊くだけの勇気はなかった。食餌を十分に採ってい
るのなら何も必要ないという先生を説き伏せるように肝臓治療
薬のミノファーゲンとブドウ糖の静脈注射を右後肢の血管に射
ちももちゃんの治療は終わる。
二回目の放尿を終えたももちゃんが家の勝手口に急ぐ。でき
るだけリハビリテーションを兼ねた運動を試みるように言われ
ているが、急激な運動で喉が渇いているのであろう、かなりの
速度でももちゃんが歩く。薄雲が広がり、風が強くなってくる。
ハートモニターの波形が頭の中を駆けめぐり、横臥している
テリアの姿が目の底から離れない。
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