午後五時前であった。がらんとした待合い室には超小型犬の
チワワが一頭診察の順番を待っていた。目薬を貰い帰っていっ
たチワワのあとはももちゃんの順番である。
肛門に体温計を挿入し、全身状態を視診。尿は直前に自宅で
採っていたので、今日はビタミンB剤の静注と電気針によるリ
ハビリだけである。
予備診察台の上でリハビリを受けているももちゃんの後ろでは、
昨日のビーグル君が口を半開きにして唾液をだらだらと垂らし
ながら小刻みな痙攣を繰り返していた。
「先生!」
「今回は難しい状態です……」
「見込みはありませんか?」
「ええ、痙攣が始まって二十四時間も経ってから連れてきて
ますから……、
昨夜も殆ど眠らせて貰えなかったんですが……」
「セルシンは?」
「三時間ぐらいは効いていたんですが、あとは今の状態がず
っと……体温も四十二度まで上昇してましたし……」
「でも、何とかなりませんか?」
「この子の場合は、交通事故で頭を強打してますし、対応も
かなり遅れてしまいましたから、難しいところです」
「じゃあ見込みは殆ど……」
「ないと思います」
母親と娘であろう二人が駆けつけてくる。目にハンカチを当
ててゲージの中のビーグル君を見つめていた。相変わらず小刻
みに全身を痙攣させているビーグル君をじっと見つめている。
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母親が小さな声で先生に尋ねる。
「こんなに苦しんでいるのでしたら……」
「お決めになりますか?」
「はい」
「ご家族全員のご意見ですね?」
「はい」
「お嬢さんも、いいんですね?」
「はい」
母親が独り言のように呟く。
「もう少し早く連れてきていれば助かったんでしょうか?」
先生は何も答えなかった。答えることは簡単であろう、しか
しその答えは決してビーグル君の家族を救うことにはならない
ことを知りすぎている背中がそこにあった。
既にももちゃんの治療は終わっていた。大好きなビーグル君
の最後を一緒に見守っているべきかどうか、大きな逡巡があっ
た。逃げるように病院をあとにする。
独りでこの重荷を背負い込めなかった。近所のビーグル犬を
飼っているおばちゃんに話す。左腰部の激痛が、ビーグル君の
首筋をマッサージし始めたとたん消失したことを伝えると、
「きっとその子が痛みを持っていってくれたんだよ……動物
は解るから……」
おばちゃんの言葉が胸に痛い。また一つ星空に友達が消えて
いった。
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