哀しみの中で!



8月12日 晴れ
 午後五時前であった。がらんとした待合い室には超小型犬の
チワワが一頭診察の順番を待っていた。目薬を貰い帰っていっ
たチワワのあとはももちゃんの順番である。

 肛門に体温計を挿入し、全身状態を視診。尿は直前に自宅で
採っていたので、今日はビタミンB剤の静注と電気針によるリ
ハビリだけである。

予備診察台の上でリハビリを受けているももちゃんの後ろでは、
昨日のビーグル君が口を半開きにして唾液をだらだらと垂らし
ながら小刻みな痙攣を繰り返していた。

 「先生!」

 「今回は難しい状態です……」

 「見込みはありませんか?」

 「ええ、痙攣が始まって二十四時間も経ってから連れてきて
  ますから……、
  昨夜も殆ど眠らせて貰えなかったんですが……」

 「セルシンは?」

 「三時間ぐらいは効いていたんですが、あとは今の状態がず
  っと……体温も四十二度まで上昇してましたし……」

 「でも、何とかなりませんか?」

 「この子の場合は、交通事故で頭を強打してますし、対応も
  かなり遅れてしまいましたから、難しいところです」

 「じゃあ見込みは殆ど……」

 「ないと思います」

 母親と娘であろう二人が駆けつけてくる。目にハンカチを当
ててゲージの中のビーグル君を見つめていた。相変わらず小刻
みに全身を痙攣させているビーグル君をじっと見つめている。
 母親が小さな声で先生に尋ねる。

 「こんなに苦しんでいるのでしたら……」

 「お決めになりますか?」

 「はい」

 「ご家族全員のご意見ですね?」

 「はい」

 「お嬢さんも、いいんですね?」

 「はい」

 母親が独り言のように呟く。

 「もう少し早く連れてきていれば助かったんでしょうか?」

 先生は何も答えなかった。答えることは簡単であろう、しか
しその答えは決してビーグル君の家族を救うことにはならない
ことを知りすぎている背中がそこにあった。

 既にももちゃんの治療は終わっていた。大好きなビーグル君
の最後を一緒に見守っているべきかどうか、大きな逡巡があっ
た。逃げるように病院をあとにする。

 独りでこの重荷を背負い込めなかった。近所のビーグル犬を
飼っているおばちゃんに話す。左腰部の激痛が、ビーグル君の
首筋をマッサージし始めたとたん消失したことを伝えると、

 「きっとその子が痛みを持っていってくれたんだよ……動物
  は解るから……」

 おばちゃんの言葉が胸に痛い。また一つ星空に友達が消えて
いった。