紫 露 草



7月3日 土曜 快晴
 午後十二時半、気温二十八・五度の夏空の下を五色台へと車
を走らせる。風が強いためであろうか、空が抜けるように青い。
昨日までの強い雨に洗われた樹々の緑が右に左にとゆっくりと
揺れている。

 午後一時十分、山頂の駐車場に到着。一台も車の停まってい
ないがらんとしたアスファルトの駐車場で「さくら」が出迎え
てくれる。出産後の子育てで苦労している様子が窺える、二回
りほど小さく見える。少し垂れ下がってきた乳房が母親らしさ
を証明していた。

 食餌の用意が待てない風情でしきりに尻尾を振り、ピクニッ
クケースの中に頭を突っ込んでくる。空腹なのであろう・・・


 太郎、権兵衛、そしてさくらの三つの食器にそれぞれ二日分
ずつの食餌を用意する。今日は太郎と権兵衛の姿が見えない。
多分食糧を探しにどこかへ出かけているのかもしれない。暫く
待つことにする。

 胡桃たちの旧居に腰を下ろす。土を掘り、波板を打ち付けて
造った倒木の下の旧居跡に母子六頭の生活の跡は残されていな
かった。

 天井代わりの波板は風に飛ばされ、掘り返した一平方メート
ル四方の土の上は一面の紫露草で覆われていた。倒木の上にも
雑草が生え、正面の入り口とその前に少しだけあった運動場も、
名もない草たちの生い茂る原っぱに変わっていた。僅かに旧居
を三方から取り囲んでいた松の樹だけが変わらず風に揺れてい
た。
 太郎と権兵衛は帰ってこなかった。食餌を終えて原っぱに座っ
ている私を見つめていたさくらが、尻尾を巻き気味に雑草の中
に姿を隠そうとしていた。

 名前を呼ぶと申し分けなさそに尻尾を垂らし、私の方をちら
りちらりと見つめながら潅木の林の中に走り込んだ。後をつけ
ても無駄とは知りながらやはり追いかけてみる。

 胡桃たちの旧居の裏の崖のようなところを懸命に下りて行く
さくらが目に入る。追い付ける速さではなかった。

 子供のことが気になるのであろう・・・。

 目で追いかけるだけ・・・・・。