家庭犬と野良の性格 四



信頼関係の謎
 およそ十ヶ月に亘る五色台の野生児たちとの付き合いに於い 
て構築されてきた野生児たちとの信頼関係については、種々の
疑問点が残されている。

 先ず第一に、私を単なる餌運びの人間であるという認識では
なく、形成している集団の最上位者として個体認識していたか
どうかということである

 このことは給餌の際にみせる集団の行動からは計り知れない
ことが種々起こり、また当然、信頼関係が壊されるであろう行
為(子供たちの保護等)が当方にあったにも関わらず、その関
係が変化することがなかったなどの二律背反する出来事から推
察しているのである。

 絶対的な信頼関係が彼ら野生児たちとの間に構築されていた
という仮定の上で考えるとき、給餌の際の接触からうかがえる
彼らの歓迎と信頼の行為は十分理解できるものの、胡桃の失踪
後、仔犬たちの保護という出来事を経て、姿を見せなくなった
太郎と権兵衛の行動はいったい何なのであろうか。

 子供も、配偶者もいなくなったとは言え、その場所に留まる
ことは、食糧の調達に、また生活上の危険という観点からも十
分に利点もあれば、これまでの生活から得られたであろう経験
からも何等不都合なことは存在しないはずである。

 にもかかわらず、これまでの生活の基盤である場所を放棄し
新しい場所に移動しているとすれば、私を最上位者として認識
していたのではないのであろうかという疑問が残るのである。

 尤も、丁度発情期を迎えているということを考えれば、配偶
者である胡桃がいなくなったということから、新しい配偶者を
求めて移動したということも考えられないことではないのでは
あるが・・・(ただし、これらの推察は何れも、彼ら野生児た
ちの上に何等人為的な捕獲などの行為が及んでいないという前
提の上での仮定的考察であることを御理解頂きたい)

 もし胡桃が、失踪(これも仮定ではあるが)という形態をと
らず、現在も集団の一員として行動しているとすれば、果たし
て前述のような仮定法が成立するかどうかということも、確か
に疑問ではある。

(1)  絶対的な信頼関係が存在していたとすれば、太郎たち
    の失踪はいったい何を意味するのであろうか?

(2) また反対に、単なる食餌の為だけの信頼関係だったと
    すれば、何故場所を放棄しなければならなかったのだ
    ろうか?
 何れの場合も、何らかの人為的外圧がないと仮定するならば、
解けない謎として残存する疑問点である。

 またかなり強引な推理を展開するならば、

 (1)の答としては胡桃の失踪に始まった家族の崩壊現象と、
   配偶者を必要とする生理的現象。

 (2)の答としては観光客の増加と、花見客などによる残飯の
   増加という観点から、より快適な餌場の発見ということ
   が考えられるのではないだろうか。

 ただし、この推理をかなり強引であると言ったのは、私がい
つも通りの給餌活動をしており、食糧を満載した餌箱の寿司桶
がたった一日で綺麗にまるで洗ったように空っぽになっている
という点からであり、供給している食糧の量は、成犬で最低で
も5~7頭分、太郎と権兵衛二頭と考えれば2日分以上の量が、
丸一日で消費されているということからなのである。

 残念ながら、現在のところ誰がこの食糧を食べているのかと
いう確証がないため(時間を変えて観察と捜索をしてはいるも
のの、未だに太郎たちに遭遇できない)全くの仮定でしかない
のである。

 確定的に言えることは、食べ終わった食器の状態が、完全に
犬が食べた跡であるということぐらいなのである。

 さらにつけ加えることとしては、仔犬たちの捕獲後、ケージ
の中の仔犬たちを気にすることなく太郎はいつもの通り私の持
って行った食餌をいつもの如く穏やかに食べてくれたという事
実である。

 このことは、私との信頼関係が崩壊していないことを意味す
るものであると考えてもいいのではないだろうか。

 以上のように考察を重ねてみると、今回の出来事から想像で
きることは、信頼関係の存廃ということよりも、むしろ何らか
の外圧による異常事態が彼ら野生児たちの身の上に起こったと
考える方がより正確な判断かも知れない