家庭犬と野良の性格 三



古い友人
 野良と人との関わりについては、環境・状態等によってかな 
りの差異が出るであろうと思われるが、全体的にはかなりの部
分で共通点が見受けられると勘案される。

 先ず、家庭犬との大きな違いは、野良たちは決して手の届く
範囲内に近づかないということであろう。勿論家庭犬の場合も
決して他人に近づかない犬も存在しているが、野良たちの場合
の、警戒心が除かれた後でも、ある距離から内側には入ってこ
ないという行動とはかなり違った意味合いのようである。

 ただこれは解析不能の範疇に入ることかも知れないが、五色
台の野生児たち二家族の行動の共通点として、一家族の内、ど
れか一つの個体は人に近づき、甘えたり、散歩に追随したりす
るという行動をとる。

 太郎たち家族の中では胡桃がそうであり、コロたちの集団の
中ではコロがそうである。(特に胡桃の場合は、五色台でミル
クの子として生まれたという、いわゆる生まれつきの野良であ
り、人との関わりは最初からなかったということは、私自身が
確認していることである)

 犬の行動と生態という観点からすれば、上位者に従うという
ことが本来の行動であるはずなのであるが、人との関わりにつ
いては、野良の場合、迫害・人に対する植え付けられた恐怖心
などの外的要素によりかなり変化するのかも知れない。

 と同時に、遺伝的性格ということも勘案しなければならない
ようである。

 胡桃の人懐っこさは、その母親のミルク譲りであり、特に私
に対する態度の変化は、お産ということを境界として大きく変
化を見せたのである。

 このことは依存順位ということでも説明はつくものの、野良
という不安定な環境の中での子育てという一大事業に際し、人
によって助けられたという感覚が大きく作用していることも推
察されることである。
 これについては現在は私の家族として生活している「ちび」
〔桃子〕がそうであることからも証明できるものと思われる。

 もともとちびは飼い犬であり、主人は存在していたはずであ
る。にもかかわらず、わずか一週間ほどの給餌の後、私の家に
引き取ったときには既に私を主人(上位者)として認め、いな
くなった仔犬たちを捜すこともなく、張っていた乳房が二日ほ
どで元の状態に戻り、既住の犬たちとも折り合いをつけて生活
をしていることからも、十分に理解できることのようである。

 つまり「大変なときに助けられた」という感覚が存在してい
たのであろうということではないだろうか。

 またちびの行動からの推察ではあるが、「自分を捨てた主人」
と「拾ってくれた新しい主人」という認識も存在しているよう
である。

 飼い犬が「捨てられた」という認識を正確に持っているかど
うか・・・このことの分析は今後の課題でもあろう。

 様々な形で古来より人と関わってきた犬族であるだけに、そ
の行動の基底にあるものが何を基準にしているものなのかとい
うことを解析することはかなり難しいことではあるが、何れに
せよ「人と関わり、人に隷属して生活してきた生物」であると
いうことだけは確かである。

 つまり、いつの時でも最高位のものに従属する習性を持って
いるのが犬族であり、この点に於いては「猿族」と同様ではあ
るものの、人によって生かされ、生活慣習を変えられ、作り変
えられてきた種族であるということではないだろうか。

 この点に於いて、野生の狼との類似点を数多く残しながらも、
野良犬たちの生活慣習が家庭犬との比較に於いて、多くの類似
点を残存させていることに気づくことになるのであろう。

 一つの結論として言えるであろうことは、野良犬たちの習性
は、「狼」と家庭犬の丁度中間あたりに位置しているというこ
とではないだろうか。