野良と人との関わりについては、環境・状態等によってかな
りの差異が出るであろうと思われるが、全体的にはかなりの部
分で共通点が見受けられると勘案される。
先ず、家庭犬との大きな違いは、野良たちは決して手の届く
範囲内に近づかないということであろう。勿論家庭犬の場合も
決して他人に近づかない犬も存在しているが、野良たちの場合
の、警戒心が除かれた後でも、ある距離から内側には入ってこ
ないという行動とはかなり違った意味合いのようである。
ただこれは解析不能の範疇に入ることかも知れないが、五色
台の野生児たち二家族の行動の共通点として、一家族の内、ど
れか一つの個体は人に近づき、甘えたり、散歩に追随したりす
るという行動をとる。
太郎たち家族の中では胡桃がそうであり、コロたちの集団の
中ではコロがそうである。(特に胡桃の場合は、五色台でミル
クの子として生まれたという、いわゆる生まれつきの野良であ
り、人との関わりは最初からなかったということは、私自身が
確認していることである)
犬の行動と生態という観点からすれば、上位者に従うという
ことが本来の行動であるはずなのであるが、人との関わりにつ
いては、野良の場合、迫害・人に対する植え付けられた恐怖心
などの外的要素によりかなり変化するのかも知れない。
と同時に、遺伝的性格ということも勘案しなければならない
ようである。
胡桃の人懐っこさは、その母親のミルク譲りであり、特に私
に対する態度の変化は、お産ということを境界として大きく変
化を見せたのである。
このことは依存順位ということでも説明はつくものの、野良
という不安定な環境の中での子育てという一大事業に際し、人
によって助けられたという感覚が大きく作用していることも推
察されることである。
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これについては現在は私の家族として生活している「ちび」
〔桃子〕がそうであることからも証明できるものと思われる。
もともとちびは飼い犬であり、主人は存在していたはずであ
る。にもかかわらず、わずか一週間ほどの給餌の後、私の家に
引き取ったときには既に私を主人(上位者)として認め、いな
くなった仔犬たちを捜すこともなく、張っていた乳房が二日ほ
どで元の状態に戻り、既住の犬たちとも折り合いをつけて生活
をしていることからも、十分に理解できることのようである。
つまり「大変なときに助けられた」という感覚が存在してい
たのであろうということではないだろうか。
またちびの行動からの推察ではあるが、「自分を捨てた主人」
と「拾ってくれた新しい主人」という認識も存在しているよう
である。
飼い犬が「捨てられた」という認識を正確に持っているかど
うか・・・このことの分析は今後の課題でもあろう。
様々な形で古来より人と関わってきた犬族であるだけに、そ
の行動の基底にあるものが何を基準にしているものなのかとい
うことを解析することはかなり難しいことではあるが、何れに
せよ「人と関わり、人に隷属して生活してきた生物」であると
いうことだけは確かである。
つまり、いつの時でも最高位のものに従属する習性を持って
いるのが犬族であり、この点に於いては「猿族」と同様ではあ
るものの、人によって生かされ、生活慣習を変えられ、作り変
えられてきた種族であるということではないだろうか。
この点に於いて、野生の狼との類似点を数多く残しながらも、
野良犬たちの生活慣習が家庭犬との比較に於いて、多くの類似
点を残存させていることに気づくことになるのであろう。
一つの結論として言えるであろうことは、野良犬たちの習性
は、「狼」と家庭犬の丁度中間あたりに位置しているというこ
とではないだろうか。
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