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暮れて行く



2月5日
 車を停める暇もなかった。自動販売機の詰め替え作業をして
いた岬のおじいさんの側で座っていたコロが、ドアのすぐ横ま
で跳んできて頭を地面にこすりつけながら激しく尻尾を振って
いた。声も出せずただ喜んでいる。両前肢を交互に出し、甘咬 
みを繰り返す。お腹は減っていないようだ。

 展望台への道を一、二歩、歩いたとき、全速力のコロが坂道
を駆け上がっていった。急な坂道を一気に登ることができず、
所々で休憩をとりながらコロのあとをついて行く。コーナー、
コーナーで私の顔が見えるまで待っていたコロが急に展望台横
の茂みに入って行く。

 「ひよっとしてクロの何かがあるのでは!」

 と思い、茂みに入ってみる。何もなかった。展望台の階段下
で待っていたコロに「行こう!」と促すと、階段を駈け登る。

 さすがに息が切れて幻暈がする。展望台の立て看板に距離が
記されていた。

 「大山崎展望台まで五百米・有料道路まで千二百米」

 千二百米先は、太郎たちのいた駐車場である。コンクリート
の椅子に座り西の空を眺める。瀬戸大橋のアーチに夕暮れの太
陽が落ち掛かっていた。岬と山との分岐点で、どちらに行くの
だろうかという顔でコロが待っていた。とても登るだけの体力
はない。岬を指さすのと同時にコロが飛ぶように駈けていった。


 かなり遅れて岬の駐車場が見えるところまで下りてくると、
車の横でコロが尻尾を振りながら待っているのが見えた。犬缶
のケースをおじいさんに預け、コロの顔を見る。お腹は膨らん
でいるのに、鼻を鳴らして催促の声をあげる。トランクにあっ
た種類の違う犬缶を三個、ぺろりとお腹の中に流し込む。足の
怪我も完治し、少々臭い匂いはするがコロは元気であった。
 昨日はカシラと幸そしてシロにしか逢うことができなかった
貯木場に向かう。今日から新しい血管拡張剤を服用し始めたた
めであろう、立っているだけで動悸と幻暈が襲ってくる。少々
気分が悪く吐き気も感じる。

 暖房をシートヒーターだけに切り替え、サンルーフから冷た
い空気を入れる。外気温は八度を示していた。薄暗くなり始め
た貯木場では、先ずクロが出迎えてくれる。

 誰もいないのかと思いながら、ピクニックケースにぎゅうぎゅ
う詰めにした食餌を配り始めると、シロと五郎が跳んでくる。
海岸で釣りをしている女性にクロが吠え始めた。

 その声を聞いたのだろう、久しぶりにオフクロが姿を見せて
くれる。幸も足下に走ってきた。道路の向こうの石置き場の陰
からカシラも、のそーっと顔を出す。全員の顔が揃った。

 既に誰かから食餌を貰ったのだろう、みんなあまりガツガツ
とはしていない。昨日パンをもってきたとき、バスの駐車場か
らカステラの包みを口にぶら下げてついてきたカシラはウトウ
トと眠り始める。クロが頭を擦り寄せてきて甘えている。見て
いたシロが顔をめがけて跳びついてきた。

 「ウギャン」クロが威嚇の声をあげシロは跳んで逃げる。両
肩に前肢を乗せてきたクロが尾を振りながら私の鼻をペロリペ
ロリと舐め始める。威嚇されて側に来ることができないシロが、
五郎に馬乗りになって耳を咬んで鬱憤を晴らしている。

 幸はお腹を上にして尻尾を降り続け、オフクロが少し離れた
ところからこちらの方を見つめていた。

 対岸のフェリー乗り場のネオンサインが明るさを増し、風の
ない貯木場の一日が音もなく暮れようとしていた。