11月3日
 絶好の行楽日和を迎えていた。やわらかい晩秋の陽射しが靄 
がかかったような空から降り注いでいた。ベンジャミンを助手
席に乗せて、風もほとんどない海岸沿いの路を五色台へ。

 自然科学館横の駐車場は満杯であった。潅木の茂みの下では
空になったすし桶とプラスティック桶が裏返しになっていた。

 トイレの裏に置いた食パンもなくなっていた。新しい食餌を
用意し、ベンジャミンと共に芝生広場から太郎たちの捜索を始
める。

 山頂から山裾の窪地に通じる小径は雑草が生い茂り、人が通
れる状態ではなかった。芝生広場の下にあるもう一つの広場に
も、有料道路を隔てた歴史民族資料館横の広場にも、太郎たち
の徘徊している様子は窺えなかった。

 山頂を一周する有料道路沿いの主だった広場や、犬たちが生
活できそうな場所を車で訪ねる。


 何処にも、何も見つけだすことは出来なかった。山裾の窪地
にも、誰もいなかった。食糧を置いた崖下で食パンを食べてい
たのは一匹の猫であった。岬のクロとコロが元気であったのが
救いであった。

             *****            

 帰宅途中、何年かぶりにオオボスたちの棲んでいた埋め立て
地の貯木場を訪ねる。

 草が一面に生え、訪れる人さえなかったワンちゃんたちの運
動場には倉庫が建ち並び、チビたち親子の木の下の住居跡には
鋼管が所狭しと並べられていた。

 わずかに、税関の建物と電話ボックスだけが、そのままの姿
で出迎えてくれる。

 猫の額ほどの草地の横に車を停め辺りを見回す。税関横の小
さな倉庫の間から四頭の仔犬が尾を振りながらこちらに向かっ
てくる。三ヶ月齢ぐらいのビーグル犬の雑種であった。

 大急ぎでトレーにフードを移し、草地に置く。雌が二頭に雄
が二頭の兄弟のようである。八つの目が訴え掛ける。でも、連
れて帰れない。哀しそうな目で車を見つめている四頭をそのま
まに、冬の夕暮れ、車に跳ねられた仔犬を、酸素ボンベを片手
に必死に介抱した場所へと移動する。

 ライトバンの老夫婦が四頭の成犬にお菓子を与えていた。ベ
ンジャミンを助手席に残したままドライフードを四カ所に置く。

 蘭ちゃんを一回り大きくしたぐらいの女の子が駆け寄ってく
る。しゃがんでいる顔や手を舐め、お腹をひっくり返して甘え
る。


 「この子たちのことをご存じでしたか?」

 背後で男の人が尋ねる。

 「いいえ、今日初めてです」

 話を聞く内に、オオボスのことも、チビボスのことも、そし
てチビやその他の犬のことも知っている人であった。随分長い
年月が流れ、ワン君たちも入れ替わっているはずである・・・

 刻が一瞬止まったような衝撃を受ける。甘えて手を舐めてい
るワン君の右後肢はブラブラであった。なだめながら骨折箇所
を探してみる。骨盤の辺りに骨折があるようであった。恐らく
仔犬のときに車にひかれたのであろう。目が大きく、利発そう
な顔をしたいい子である。

 親犬であろうか、左眼瞼を真っ赤に爛れさせた雄犬が、与え
た缶詰を尾を振りながら食べてくれていた。食餌が終わるのを
待ち、両前肢を捕まえて道路に寝さす。救急箱から目薬と抗生
物質を取り出し、先ずテラマイシン眼軟膏を左目に。

 食いしばっている口を指でこじ開けミノマイシンの錠剤を喉
の奥に拳ごと放り込む。完全に咬まれるだろうと思いながらの
作業であった。

 錠剤を口に放り込んで口を暫く閉めたとき、小さな声で「キ
ャイン」と一声啼いただけであった。初めて逢ったワン君たち
に随分思い切ったことをする・・・という顔つきで見ていた老
夫婦に残りのフードを渡し、明日も同じ時間に来訪することを
告げながら、ワン君たちのことをお願いする。

 助手席で寝ていたベンジャミンが起きあがり窓の外の景色を
眺めている。

 西の空の下で五色台がぼんやりとした輪郭を描き、その向こ
うは紅に染まっていた。