絶好の行楽日和を迎えていた。やわらかい晩秋の陽射しが靄
がかかったような空から降り注いでいた。ベンジャミンを助手
席に乗せて、風もほとんどない海岸沿いの路を五色台へ。
自然科学館横の駐車場は満杯であった。潅木の茂みの下では
空になったすし桶とプラスティック桶が裏返しになっていた。
トイレの裏に置いた食パンもなくなっていた。新しい食餌を
用意し、ベンジャミンと共に芝生広場から太郎たちの捜索を始
める。
山頂から山裾の窪地に通じる小径は雑草が生い茂り、人が通
れる状態ではなかった。芝生広場の下にあるもう一つの広場に
も、有料道路を隔てた歴史民族資料館横の広場にも、太郎たち
の徘徊している様子は窺えなかった。
山頂を一周する有料道路沿いの主だった広場や、犬たちが生
活できそうな場所を車で訪ねる。
何処にも、何も見つけだすことは出来なかった。山裾の窪地
にも、誰もいなかった。食糧を置いた崖下で食パンを食べてい
たのは一匹の猫であった。岬のクロとコロが元気であったのが
救いであった。
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帰宅途中、何年かぶりにオオボスたちの棲んでいた埋め立て
地の貯木場を訪ねる。
草が一面に生え、訪れる人さえなかったワンちゃんたちの運
動場には倉庫が建ち並び、チビたち親子の木の下の住居跡には
鋼管が所狭しと並べられていた。
わずかに、税関の建物と電話ボックスだけが、そのままの姿
で出迎えてくれる。
猫の額ほどの草地の横に車を停め辺りを見回す。税関横の小
さな倉庫の間から四頭の仔犬が尾を振りながらこちらに向かっ
てくる。三ヶ月齢ぐらいのビーグル犬の雑種であった。
大急ぎでトレーにフードを移し、草地に置く。雌が二頭に雄
が二頭の兄弟のようである。八つの目が訴え掛ける。でも、連
れて帰れない。哀しそうな目で車を見つめている四頭をそのま
まに、冬の夕暮れ、車に跳ねられた仔犬を、酸素ボンベを片手
に必死に介抱した場所へと移動する。
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ライトバンの老夫婦が四頭の成犬にお菓子を与えていた。ベ
ンジャミンを助手席に残したままドライフードを四カ所に置く。
蘭ちゃんを一回り大きくしたぐらいの女の子が駆け寄ってく
る。しゃがんでいる顔や手を舐め、お腹をひっくり返して甘え
る。
「この子たちのことをご存じでしたか?」
背後で男の人が尋ねる。
「いいえ、今日初めてです」
話を聞く内に、オオボスのことも、チビボスのことも、そし
てチビやその他の犬のことも知っている人であった。随分長い
年月が流れ、ワン君たちも入れ替わっているはずである・・・
刻が一瞬止まったような衝撃を受ける。甘えて手を舐めてい
るワン君の右後肢はブラブラであった。なだめながら骨折箇所
を探してみる。骨盤の辺りに骨折があるようであった。恐らく
仔犬のときに車にひかれたのであろう。目が大きく、利発そう
な顔をしたいい子である。
親犬であろうか、左眼瞼を真っ赤に爛れさせた雄犬が、与え
た缶詰を尾を振りながら食べてくれていた。食餌が終わるのを
待ち、両前肢を捕まえて道路に寝さす。救急箱から目薬と抗生
物質を取り出し、先ずテラマイシン眼軟膏を左目に。
食いしばっている口を指でこじ開けミノマイシンの錠剤を喉
の奥に拳ごと放り込む。完全に咬まれるだろうと思いながらの
作業であった。
錠剤を口に放り込んで口を暫く閉めたとき、小さな声で「キ
ャイン」と一声啼いただけであった。初めて逢ったワン君たち
に随分思い切ったことをする・・・という顔つきで見ていた老
夫婦に残りのフードを渡し、明日も同じ時間に来訪することを
告げながら、ワン君たちのことをお願いする。
助手席で寝ていたベンジャミンが起きあがり窓の外の景色を
眺めている。
西の空の下で五色台がぼんやりとした輪郭を描き、その向こ
うは紅に染まっていた。
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