くまきち旅立つ



1月31日
 小さかった胡桃が急に太ったように見え、子供の顔から何と
なく母親のような顔つきが見え始めてから随分の時間が流れて
いた。

 太っていたのではなく、妊娠していたということに気がつい
てからでも既に七十日近くが過ぎて行った。丁度五十日になる
だろうか、パンパンに膨らんでいたお腹が、見事なまでにスリ
ムになり、顔立ちが一段と母親らしくなってから・・・

 五頭のまるまると太った子供たちを一頭一頭口にくわえて見
せてくれたときの、あのなんとも言い様のない感動は未だに胸
の奥底深くで渦巻いている。と同時に忍耐と忍耐だけの辛く苦
しい闘いの序章でもあった


 それまでの三頭に加え、新たな五頭の誕生である。週に一、
二度の給餌で済ませていたこれまでとは雲泥の差であった。冬
を迎えた山の中に食糧になるものがあるはずはなかったし、産
後間もない胡桃に、子供たちの食糧が調達できるはずもないこ
とは明かであった。
くまきち
 ペットショップへ行き、子供も成犬も食べられる、しかもあ
る程度日持ちのする食糧として缶詰を選び、なおかつ保存食と
いうより非常食としてドライフードを選び出した。八頭分の食
餌を作ること、それも二日か三日分である。

 どの程度仔犬たちが食べるのかを検分することは時間的にも
できないし、次に給餌にくるときまで何とか十分な量が確保で
きるくらいの食餌量・・・難しいパズルであった。結果は五十
日過ぎの仔犬には見えないくらい大きく育ってしまった。中で
も雄の二頭はどう見ても三カ月以上の大きさになってしまった。

 風のない日、陽だまりのなかでダンゴのようになって居眠り
をしている仔犬たちを垣間みるとき、「少々大きく育ったよう
だが栄養は十分だったようだし、ひもじい思いをしなかっただ
けでもいいではないか!」と苦笑いと共に自分に言い聞かせた。
 次の給餌が自分の体力の都合で確定できないことへの不安、
そしてついつい大量の食餌を置いておくことから派生してきた
肥満児の誕生であった。

 二日に一度、時には連日の給餌はそれほど大きな苦痛をもた
らすものではなかった。むしろ雨の降る深夜、風の轟々とうな
る寒い日、彼らの上に思いを巡らすことの方が辛く苦しいこと
であった。


 一月二十七日、便宜上熊五郎と名付けていた男の子が里親の
元に貰われていった。「くまきち」と名付けられ大切に育てら
れている。