スーパーの店先で幟が悲鳴をあげて風の中ではためいていた。
午後一時前、放送局のグラウンドにベンジャミンと蘭を連れて
出掛ける。霰を柔らかくしたような雪が空から降り始めた。野
球場の土がみるみる白くなる。短足のベンジャミンのお腹が黒
く汚れ、落ちていたテニスボールをくわえて遊ぶ蘭の背中に水
玉が光る。目を細めて突進してくるベンジャミンを交わしなが
らグラウンドを二周。凍えるような寒さからやっと解放された
のか、身体が暖まってきた。頬に当たる粉雪の感触を楽しむ。
寒い中での散歩はまだ早かったのであろう、二時間ほど動く
ことができなかった。身体を休めていても、木枯らしの音は耳
に届いてくる。太郎たちのことが頭から離れない。四時半を回っ
た。トランクに食糧の詰まった三つのピクニックケースと医療
用のケースを積み込む。気のせいか、風が少しだけ弛んできた
ようだ。
貯木場の気温は三度であった。厚手のウエスタンコートを着
ていても風がしみこんでくる。口笛の合図で現れたのは五郎で
あった。犬缶の入っていた段ボール箱に食餌を移し、鉄骨の下
に置く。
甘えたクンクンという声を出しながら五郎が地べたに横にな
る。あまり空腹ではないようだ。クロたちが出てこない。埋め
立て地を何回か回って探してみる。やはり出てこない。トラッ
クセンターにいる癌の子に先に食餌を届けることにする。
エンジンの音で出てきたのは、片耳のない子といつもの茶色
の子であった。ガツガツと食べる。癌の子が出てこない。何回
か口笛を吹くと、トラックセンターの中の段ボール箱の横から
顔を出してくれた。
門が開いていることを幸いに、トレーに入れた食餌を住居代
わりであろう段ボール箱のところに運ぶ。すぐに食べ始める。
相変わらずゴーッという苦しそうな音を出している。
五郎たちのいる場所に帰り始めたとき、クロとシロが倉庫沿
いに走っているのを見つける。窓を開けて合図を送る。食餌を
置いてある場所まで全速力で車についてくる。途中からカシラ
も加わる。
仲良く四頭が食餌を始めるのを見て、トラックセンターに再
び向かう。
「ひょっとして十年前によく出合ったおばちゃんに逢えるか
もしれない、癌の子のことを尋ねてみたい、おばちゃんが
いなくても、センターの誰かに聞いてみよう」
ずっと胸の内に抱いていたことである。門の中に見覚えのあ
る自転車が止まっていた。おばちゃんが事務所から出てくる。
|
「覚えていますか?」
「忘れるはずがないでしょ! 二階堂さんでしょう、アナウ
ンサーの・・・」
十年がわずか一秒に縮まる。
税関横で給餌していたときのワン君たちのことを懐かしそうに
話してくれる。風が止まった。
「もう給餌を止めたのかと思っていたわ!」
「すみません、山の方に行ってましたから・・・・・」
「今、この辺りに十九頭ぐらい住んでるわよ、税関横の方に
は行ってないけど」
「六頭います」
「いろいろあったのよーーー」
おばちゃんの話は終わりそうにもないぐらい続く。ありった
けの缶詰を事務所に運び、癌の子の食餌にして貰うように頼み、
抗生物質も手渡す。
トラックセンターの中で遊んでいた片耳のない子たちの数が
増えている。癌の子は何処かで休んでいるらしく出てこない。
片耳のない子と茶色の子が二頭、三頭が遊んでいる。「幸」で
あった。呼ぶとお腹を見せて喜ぶ。
「この子は私が助けたの!」
「えっ・・・」
「捕獲箱に入れられていたのを、出してやったの!」
「そうですか・・・・・」
「それから、ときどきここに遊びに来るのよ」
アッという間に時間が過ぎていく。おばちゃんのつきること
のない話を何とか終わりにして貰い、五郎やクロたちのところ
へ車をまわす。クロが跳びついてきて顔を舐めまわし、カシラ
は足にひっついてくる。五郎とシロがじゃれあい、元気になっ
たシロが背伸びをして胸にもたれ掛かる。
オフクロの姿が見えない。何処かで子犬を産んでいるのかも
しれない。倉庫と倉庫の間の僅かな隙間から茜色に染まった五
色台の空が見えた。
|