限りあるいのちならば・・・・・



11月6日
 駐車場に通じるヘヤピンカーブをゆっくりと回る。午後四時、
太郎・権兵衛・胡桃の三頭が車を目指して駆け寄ってくる。夢
のまた夢であった。カーブを曲がるのが辛い。雑草の間から見
える駐車場のがらんとしたアスファルトを見たくない。どんよ
りと曇った空の下を五色台の野生児たちに逢うためアクセルを
踏む。岬を通り過ぎ登山道路を八十キロで駆け上がる。緑が薄
くなっている。風もほとんどない。自然科学館の前を過ぎヘヤ
ピンカーブに! ゆっくりとカーブを曲がる。

 駐車場の真ん中で座っている一頭のワン君! 太郎ではなか
った、ゴロ君であった。「ワンワン、ゥワン!」「待て待て、
ちょっと待て!」十台ほどの車が停まっている駐車場でゴロが
食餌を催促して吠え続ける。

 顔に似合わず甘えた声である。潅木の下のすし桶と大型の容
器にドライフードとパンを入れ犬缶としっかり混ぜる。缶詰を
開けている間もゴロがしきりに食餌を催促して吠える。

 できあがった食餌をゴロが食べ始める。まだ警戒心は解けて
いない。二メートル以内に近づくことは無理であった。来たと
きとは反対にヘヤピンカーブを曲がり、土手の下から潅木の茂
みの中で食餌をしているゴロを眺める。

 気がついたゴロが車の方に二、三歩近づいてきて見つめる。
太郎と同じ仕草であった。サンルーフから手を伸ばしゴロに別
れを告げる。

 窪地には何の変化もなかった。茶たちの気配も、仔犬たちの
遊ぶ姿もなかった。岬に回る。コロがいつものように坂道を転
がり下りてくる。牛乳をトレーに移す。クロが出てこない。道
路を横切り山側の小径の下からクロを呼ぶ。

 三メートルぐらい上の平らな場所にいたクロが立ち上がろう
とする。後躯がおかしい! よろけている。何とか立ち上がり
坂道を下りてくる。


 尻尾を掴み抱き上げる。ほんの少し抵抗しただけで、じっと
胸の中で抱かれている。車の横に連れて行き牛乳を飲ます。起
きあがって飲むことが出来ない。寝そべったままで懸命に飲む。
飲み終わったクロがやっと起きあがりノロノロと別の場所に移
動する。どうすることもできず見つめている背中に女性の声が
被さってくる。
 「頂上で餌をあげていた方ですね。どうかしたんですか?」

 「はい、後ろの脚に何か異常があるのか病気なのか、よく
  解りません」

 「車にぶつけられたんでしょうか」

 「多分違うと思います」

 「何とか治してあげられませんか?」

 「治したいです、でも原因が解りませんから・・・・・」

 「野良ですものねぇ・・・・・」

 ときどき太郎たちのいた駐車場で見かける車に乗って来てい
た女性であった。心配そうにクロを見つめている。原因が解ら
ないままに薬を与えることも何もできない。

 もう一度捕まえてみることにする。やはり一メートル以内に
は近づくことが出来ない。禁を破ることにする。小走りでクロ
を崖に追いつめる。

 じっと横になったままクロが見つめている。大腿動脈を探り
拍動を確認。安定してしっかりとした脈拍である。口腔粘膜の
色も悪くない。貧血の症状も、腹部に圧痛もないようであった。
ただ鼻孔が乾燥していただけである。

 ジステンパーの後遺症であろうか! 外見上は痙攣もなく、
脳炎を起こしている兆候はない。自力歩行も何とか可能である。
手の打ちようがない。しろちゃんの末期症状とも似ている。

 口を開け歯を調べる。歯石のつき具合と眼球の状態から七、
八歳齢であろうと推察する。老衰ではない。蜜柑園の農薬によ
る中毒性の疾病も考えられる。

 とにかく手の出しようがない。安全のため広範囲経口抗菌剤
を投与する。気休めにしかならない処置であろう。お腹を、頭
を撫でながら祈ることしかできない。コロが横で心配そうに見
つめていた。

 抱き上げて山の中のいつもクロが寝ているベッド代わりの草
の上におろす。顔を上げて瞬きもせずに見つめているクロに別
れを告げる。

 今度訪ねてきたときに逢うことが出来るかどうか・・・・・

 限りあるいのちならば・・・・・