上弦の月



10月21日
 忙しかった一日が暮れようとしていた。午後六時を少しばか
り回っただけだと言うのに、外はもう真っ暗である。散歩に行
きたくてうずうずしている蘭ちゃんが足下で上目遣いに顔を見
つめ、ベンジャミンはソファーの上の毛布に長い胴体を伸ばせ
るだけ伸ばして横になっている。目だけは書斎の奥をしっかり
と見つめながら・・・

 急いで着替えをすませ、左手に蘭ちゃんとベンジャミンのリー
ドを持ち海岸公園へ自転車を走らせる。


 風は全くなかった。それでも頬をかすめる夜の空気は結構冷
たかった。相変わらず目尻を下げて口を半開きにした笑い顔で
追いかけてくるベンジャミンと、何が何でもベンジャミンより
は前を走りたい蘭ちゃん。
 干潮を迎えた海岸公園は、風のないことも手伝ってひっそり
と静まり返っていた。波一つない海面が、時折跳ねる小魚の作
る波紋で小さく揺れていた。

 夜釣りを楽しむ人々の姿もなく、庭園灯に照らされた公園は
もう冬を迎えたような風情であった。


 雑草の中を潜水艦のように走り回る蘭ちゃんと、興味を惹く
ものが見あたらず、しきりに対岸から聞こえてくる犬の啼き声
に耳を傾けるベンジャミン。羽を休める水鳥の姿も今夜は見ら
れない。

 手入れの行き届いていない遊歩道をぶらぶらと歩きながら左
右の潅木の茂みを眺める。足下を蘭ちゃんがものすごい勢いで
駆け抜ける。水銀灯の明かりが届かない木の下で、名残の宵待
草が可憐な最後の花を開き、西南の空には上弦の月が心細そう
に浮かんでいた。

 懐かしい冬がもうすぐ五色台にやってくる・・・・・