五色台異聞 EPILOGUE



3月9日
 胡桃たちにはミンチ肉一キロで炊き込んだご飯、桃子たちに
は鳥肉一キロといつもの「ぶりの炊き込みご飯とスープ」そし
て仔犬たちの特別料理として肉汁とボイルしたミンチ。

 有料道路の閉鎖時間の関係から先に胡桃たちの方へ。太郎が
五十メートルほど前から車を先導。仔犬たちと胡桃は、いつも
車を停めるところへ先回りして親子での大歓迎。いつもの魚料
理と違うためか凄い食欲である。

 大五郎たち仔犬軍団が鼻を鳴らしておかわりの催促。食後は
いつも通り太郎に仔犬たちがじゃれついて遊ぶ風景。

 ゆっくりと過ごしたい気持ちを抑えて登山口の桃子たちのと
ころへ。今日はご馳走もかなりの量になっているので、桃子た
ちの満足そうな顔が・・・と思いつつ崖を下りて住居のところ
へ。

 仔犬たちの顔が見えない! そのうちご馳走の匂いで集まっ
てくるだろうと、用意の食餌をそれぞれの食器に。桃子がしっ
かりと食べ始める。崖上のクロとコロそして茶も、匂いに釣ら
れて下りてくる。桃子と並んでお相伴に預かる。

 仔犬たちがこない。段ボールの中にもいない、住居の周辺に
置いていた食器類に乱れはない。昨日午後五時過ぎに別れた時
のままである。

 いつもいるおじいさんに尋ねてみる。朝八時には仔犬たちを
見たという、でもいない。海岸に下りてみようと、途中まで崖
を下り始めたものの、足元が滑って下りることができない。崖
とは反対側の展望台まで桃子と共に登ってみる。やはりいない。

 周辺の状況から、誰かが連れて行ってくれたようである。目
が潤んでくる。どうしても、もう一度逢いたい。無駄な捜索を
三時間あまり続けてみたがやはり仔犬たちの姿を見つけること
はできなかった。桃子を助手席に乗せて五色台を後にする。

 自宅に一時預かりすることができなかったことが悔やまれて
ならない。せめて母親の桃子だけは何とかしてやりたい。じっ
と助手席に座っている桃子がいじらしくてしょうがない。
 帰路桃子の子供が貰われて行ったところの近くに住んでいる
「猫の孫兵衛」の母親を訪ね事情を話す。既に犬を一頭、猫五
頭を飼っている家である。

 自宅で飼うつもりであることを告げその家を辞そうとした時、
預けていた桃子のリードを離そうとしない。じっと桃子の頭を
撫で続けている。私も彼女も、これ以上動物を飼うことは殆ど
不可能であることはお互いに解っていたし、彼女の家にこれ以
上の迷惑を掛けるつもりも毛頭なかった。

 ただ、近くに貰われて行った桃子の子供と桃子を逢わせてや
りたかっただけであった。たった一週間の内に、捨てられ、寒
い海辺の崖の中腹で、生まれたばかりの仔犬五頭と、風に吹か
れ、雨に打たれ、食餌の心配と、外敵を始めとするあらゆる危
険から子供を守り、なおかつ明日のことも解らないままに過ご
さなければならなかった一週間。どれほどの想いであっただろ
うか・・・・・

 道端で血だらけになって息も絶え絶えになっていた仔犬を懸
命に助けようとして助けられなかったときのこと。桃子たち母
子と同じような家族に給餌を三年間続け、母親の病気を手術で
治した一、二週間後、母子共にいなくなっているのを見つけ、
三日三晩捜しまわったときの悲しい記憶などが激しい痛みと共
に蘇ってきたのであった。一人の人間の為せることのいかに小
さなものであるのかということを、じっと噛みしめる。

 桃子は「猫の孫兵衛」の仲間として幸せを約束された。今日
午後には子供と再会することであろう。いなくなった仔犬たち
が幸せに暮らしてくれることを祈ることしかできない自分の力
のなさ、小ささを思い知れば知るほど、一言も啼かずじっと尻
尾を振って頼りきっている桃子に、申し訳ないという想いが突
き上げてくる。