春  霞



4月5日
 午後三時からいつもの通り五色台の野生児たちへの給餌。今 
日は食パンの角切りと缶詰、ドライフードとチーズ・ビーフ缶
の二種類それぞれ五キロずつをトランクに積み込む。朝から冷
え込みが厳しく風が強い。大五郎たちを保護して以来太郎と権
兵衛の姿が見えない山上の駐車場は、さながら廃虚のような感
じである。昨日の日曜日、ベンジャミンと蘭を連れて付近を捜
索するつもりでいたのだが、風雨が強く実行できなかった。

 置いてあった食餌は綺麗に食べられてはいるものの、果たし
て太郎たちが食べてくれたものかどうか、確かめることはでき
ない。いったい何処にいるのであろうか! 大五郎たちがいた
ので、父親としてこの場所にとどまっていたのだろう。しかし
今はこの地に留まる理由はない。母の胡桃の所在も解らず、子
供たちも保護されたことは太郎には解らない・・・・・

 山頂は躑躅の花が満開であった。桜の花も五分咲きであり、
鴬の鳴き声も早春の時期と比べ一段と柔らかく木霊していた。

 雲の間から顔を覗かせている太陽も、大五郎たちが過ごした
日々より暖かく樹々を照らし、斜め上からの陽光が垂直に近く
なり、山肌の色合いも柔らかな緑に変わりつつあった。

 胡桃たち親子が四ヶ月近く過ごした住居の周りには、観光客
が捨てたのであろう塵が散乱し、子供たちが遊んでいた原っぱ
では、紙屑が風に舞っているだけであった。ぽつんと置かれて
いる寿司桶の赤い色が荒涼とした感じを一段と増幅させていた。

 身体中を尻尾にして車を出迎えてくれた胡桃も、少し離れた
ところから横飛びとお辞儀を交えて歓迎してくれていた太郎も、
何も言わずじっと自分の食餌の順番を待っていた権兵衛も・・
・・・・・誰もいなくなった・・・・・
 花々が咲き乱れ、全ての命あるものが待ち望んでいた春・・
しかし山上の駐車場にただ一人食餌の箱を持って立っている私
の春は、別離と哀しみの春なのであろう・・・春が嫌いになり
そうだ。空の寿司桶を綺麗に清掃してから、用意していた食餌
を精一杯盛り上げ原っぱの隅に並べて置いておく。散乱してい
る塵を拾い集める元気はなかった。芝生広場を口笛を吹きなが
ら一周してみても、何の返事も返ってはこない。薄紫の躑躅の
花の色だけが、ただ陽に映えて輝いていた。

 山裾に棲んでいるコロ・クロ・茶そして名無しと仔犬たち三
頭は元気であった。食餌もせず腹を返して甘えるコロの仕草も、
今日はどこか虚しかった。コロたちの住居の周辺で野草狩りを
をしていたのであろう一人の老人の姿が見えた途端、三頭の成
犬たちは唸り声を上げながら仔犬たちを守るために斜面を駆け
登って行った。やがてコロが尻尾を静かに振りながら帰ってき
た。一度も威嚇されたことがなかったのは、やはり、仲間とし
て認めてくれていたのだろうか・・・

 春霞の向こうにぼんやりと瀬戸大橋が見える。太郎たちは何
処にいるのだろうか! きっと元気に峯々を駆け回っているの
であろう・・・・・






胡桃の子旅立つ



4月9日
 五色台の野生児、胡桃の子供が今日新しい里親の元に旅立っ 
て行った。去年十二月十二日五色台に生を受け三月二十六日ま
で、父親の太郎、母親の胡桃、おじさんの権兵衛そして大五郎
を始めとする兄弟たちと木枯らしの音を子守歌代わりにすくす
くと育ってきた胡桃と胡桃の母親の「みるく」にそっくりの女
の子が・・・・・体重七キロ 良く育ってくれた。
ありがとう・・・!!!