華はいなかった



9月18日
 暑い、とにかく暑い。起きてからシャワーを浴びたものの、
庭で子供達と十分も遊ばないうちに頭から汗が流れ出てくる。
時折夕立のように降る雨のせいであろうか、体中がべとべとと
してまるで梅雨のようであった。

 午後四時前、気怠さに鞭を打って五色台へと向かう。外気温
計は二十九度を指していた。四時半、自然科学館へのカーブを
曲がる。ヘヤピンカーブに差し掛かり、不安が頭を横切る。

 視界が開けた途端、太郎と権兵衛が車に向かって走ってきて
いる姿が飛び込んでくる。駐車場には一台の車も停まっていな
かった。

 自分の食事代わりに持ってきたパンを太郎と権兵衛に先ず分
けてやる。太郎は特に菓子パンが好物のようであった。木陰に
置いているすし桶とプラスティック容器を取り出し、持参の雑
巾できれいに拭う。

 犬缶とドライフードを混ぜ合わせた食餌を盛りつけ、太郎た
ちが食べている間に、トイレ裏にドライフードと食パンの角切
りを非常食として置く。

 食べ終わった太郎と権兵衛に、今度は缶詰を開ける。久方ぶ
りにゆっくりと話ができる時間がとれたせいもあるのだろう、
太郎も権兵衛もよく食べてくれる。

 木陰に移り食後の休息をとる二頭をしゃがみ込んで見守る。
人なつっこい華の姿が見えない。太郎たちの様子から、何か緊
急事態が起こったとも考えられない。また今度逢えるのであろ
う。

 太郎が芝生広場の方へ移動を始め、権兵衛も後をついて行く。
しゃがみ込んだままの姿勢で太郎と権兵衛を呼んでみる。太郎
が立ち止まり、権兵衛も引き返してくる。

 凡そ五メートルばかり離れた木の下の涼しそうなところにゆっ
たりとした犬座位で太郎が陣取り、そのまた五メートルぐらい
離れたところに権兵衛が座る。二頭ともじっとこちらを見てい
る。
 窪地では名無し一頭だけが留守番をしていた。五、六カ所に
分けて食餌を置き、コロと茶の帰りを待つ。名無しの栄養状態
はかなりいいように見える。それにしても暑い。だらだらと汗
が流れるのが解る。岬のクロにとりあえず食餌を届けることに
して窪地を後にする。

 海からのかなり強い風が吹き上げてきている岬は涼しくて心
地よかった。車から降りるともうクロが足下にきていた。缶詰
を開け石のテーブルに置く。いつものようにゆっくりと食餌を
するクロを見つめながら汗を乾かす。

 再び峠下の窪地に。コロも茶も帰ってきていた。お腹を上に
向けて甘えるコロを撫でながら暫く遊ぶ。頭上には太郎たちの
住む山頂がそびえ立ち、紫色の花の絨毯で飾られていた斜面は
濃い緑色の雑草に覆われていた。風が止まり夕闇が迫っている。


 気温二十六度、夏が帰ってきたのだろうか。