前回の給餌の時、食欲がなく元気もなかったコロのことが気
がかりであった。坂道の途中で見送ってくれていた顔が寂しそ
うであったことも何かしら引っかかっていた。
午後十二時半、トランク一杯の食糧と医療品を積んで五色台
に向かう。高い秋の空が山の向こうまで続いていた。もうクー
ラーのいらない季節になっている。外気温は丁度二十度を示し
ていた。
岬のクロが車の音を聞きつけ前に回り込む。精一杯尻尾を振
り、ポイントをして遊びをせがむ。犬缶を開けてトレーに移し
山裾の涼しそうなところに置く。元気そのものである。コロの
ことがやはり気がかりである。クロが食餌を始めるのを見て、
窪地に向かう。海からの風がサンルーフ越しに秋の匂いを運ん
でくれていた。
窪地の端の雑草の上にコロと茶が座っていた。ゆっくりと立
ち上がり、ゆらゆらと尻尾を振りながらコロが近づいてくる。
いつもの跳び跳ねるような軽やかさはない。だるさを押し殺し
て歩んでいるのが解る。
食餌を与えても、犬缶一個を食べきれないようであった。直
ぐに座り込む。聴診器で心音を聴いてみる。濁った音であった。
拍動も力がない。
持参の薬品の中からラクトリンゲルを取り出し点滴の準備を
始める。コロの目に力がないのが気になる。これと言って外見
上異変を伝えてくるものはない。舌の色が少し白っぽく見える
が、野生児の食生活から考えると、どうなのであろうか!
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何を置いても電解質不足による心不全の症状を出さないこと
が一番であろうと考える。野生児の常として、フィラリアに感
染していることは百パーセント間違いないであろうし、その他
の寄生虫症にも当然罹患しているであろう。
血液検査も、心電図検査もできない道ばたで、生半可な医学
知識しか持ち合わせていない自分が呪わしくなる。
ブドウ糖の点滴をするべきかそれともリンゲルか! 安全を
考えラクトリンゲルのプラスティックボトルに輸液セットの針
を刺す。エアー抜きも済み、素直に横になっているコロの背中
に太い針を射し、輸液の落下速度をセットする。
全身の力を抜いて草の上に横になっているコロが目を閉じる。
左手に持った点滴ボトルを頭の上にかざし、右手でコロの顔を
静かに撫でる。
不思議な感覚であった。わずか一年余のコロとのつきあいで
ある。こんなにも造作なく点滴ができるとは考えもしなかった
ことである。
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輸液で膨れる首筋をもみながらコロの顔と点滴速度を交互に
見つめる。静かに呼吸しているコロは動こうともしない。時折
通り過ぎる車の音に、僅かに首を持ち上げようとするが、「じ
っとして!」という一言でまた目を閉じて体を預けてくる。
まるで治療をしている私の必死の思いが伝わっているかのよ
うに、腕の力を抜きじっと横たわったままであった。点滴瓶を
持ち上げている左手がだるさで痺れてくる。
顔と足を薮蚊が襲い痒くてしようがない。中腰の足も痺れ始
める。
「じっとしてなさい!」
そう言いながらゆっくりと立ち上がる。コロは動かずにじっ
としてくれたままである。ちょっとでも動かれると針が抜け落
ちてしまう。
やっと二百t落ちただけである。後三百t、既に三十分が経
過している。足と顔が痒い。一時間後、五百tの点滴を終わり
日陰の涼しそうな雑草の上で犬座位の姿勢で見送るコロを後に
山頂の太郎たちのところへ向かう。
太郎たちに逢うことはできなかった。潅木の下の食糧は殆ど
手が付けられてなく腐敗臭を放っていた。僅かにトイレの裏に
置いたドライフードと食パンがなくなっているだけであった。
新しい食餌をそれぞれの場所に置き、山頂を半周して山裾の
窪地に再び向かう。茶とコロが寝そべったままの姿勢で出迎え
てくれる。
一時間が経っていた。コロの首筋の輸液は殆ど吸収されてい
た。心音を聴いてみる。点滴前の力のない拍動ではなかった。
かなりしっかりと動いている。乾いていた鼻も下半分ぐらいが
濡れてきていた。
しかしコロの挙動は緩慢である。連れて帰り病院で治療を受
けさせ、再び元気なコロに返って欲しいという想いが突き上げ
てくる。しかしその後どうにかできるのであろうか!
できない。これ以上の数を狭い庭の中に受け入れることも、
妻と私の二人で飼養することも、既に限界を超えたことである。
里親を捜してコロを引き取って貰うことも、これほど大きな犬
の場合は先ず難しいことであろうし、病気のこともある。
広い山の土地が欲しい! 何としてもコロを助けたい!
でも何もできない!
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