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レクイエム



 もう十年にもなるのだろうか! ポリバケツ一杯の炊き立て
のご飯を埋め立て地の貯木場へ運んだのは。深夜湯気のまだ出
ているご飯を、チビと名付けた母犬と共に材木の下に掘られた
住居から出てきて、膨らんだお腹が地面に擦れるぐらい懸命に
食べてくれた仔犬たちとの哀しい闘いの始まりの日。
 
 殆ど連日、周辺の人々からは恐いと言われていた貯木場の野
良君たちに仕事以上の義務感と哀しみを胸に、妻をせきたてて
炊いてもらったご飯を運ぶことになった。
 
 三十キロ近くあろうかと思われるほどの大きさでいかにも獰
猛な顔のオオボス、そのオオボスにいつも従っている二十キロ
くらいのチビボス、そしてその家族であろうチビとその子供た
ち。大きな図体でちょこんと座り、おずおずと左手を出してお
手をするオオボスの姿からは、どうして恐れられているのか理
解することはできなかった。
 「オオボス」と声を掛けると必ず尻尾を振りお座りの姿勢。 
定住地にいないとき、車で呼びながら周辺を探す。どこからと
もなくチビボスを従えたオオボスが全身で喜びを表しながら現
れてくれる。
 
 ただ嬉しそうに食べてくれるその姿を見るためだけに、雨の
日も風の日も時計の針が午後十一時を回ると車にとび乗ったの
であった。野良たちの生活を理解していたわけでも、生まれた
仔犬たちの里親を捜す知恵も、そのときはなかった。釣りが好
きで、家から近いというだけの理由で訪れた海際の貯木場にた
またま野良たちが生活していたというだけの始まりであった。
 
 三年くらい続いたであろう給餌活動がある日突然終わること
になった。何度かのお産が終わり、発情期を迎えたチビちゃん
の膣が体外に出てきていた。いわゆる膣脱である。以前にも膣
脱を起こし路上で治療してもらったことがあった。二度目とい
うことを考え、動物病院に連れて行き手術ということになる。

 手術も無事終わり、退院後元の貯木場に放してやった。それ
からしばらくは平穏にいつも通りの日々が続いていた。
  ある日を境にチビたちの姿が急に見られなくなった。

 オオボスもチビボスもどんなに時間を変え、夜だけでなく昼
間も探してみたものの杳として消息を掴むことはできなかった。
保健所が捕獲したらしいという情報を得たのはそれから十日ほ
ど後のことであった。
 
 犬の生態についてもっと知っていれば・・・・・

 里親を捜す知恵があれば・・・・・

 犬たちと遊ぶことが最大の楽しみであり喜びであった自分の
心の中に、それまでとは違った何かが生まれつつあった。しか
しそれが何であるのか、その時は知るすべもなかった。
 
 道ばたで死んでいた仔犬を箱に詰め、次の世での幸せを祈り
ながら海に流したり、跳ねられて血だらけになっている仔犬を
路上で何時間も介抱したりという日々が続いた。

 自宅に六頭いたビーグルたちも老齢期を迎え次々に亡くなっ
ていった。
 
 新しく拾われてきたベンジャミンとの楽しい生活が続いてい
たある日、五色台の芝生広場で野良たちの一団と遭遇する。

      新たな哀しみの始まりでもあった。

この物語は、十年を経て初めて鮮烈に心に湧き上がってきた、すれ違い通り過ぎていった野良たちへの鎮魂歌である。