午後2時半を回った。昨日からの強い季節風も幾分和らいで
きたようだ。街中はクリスマスプレゼントを買い求める人々の
車が路という路を埋め尽くし滅多にみられないほどのラッシュ
となっていた。伊丹のひろじいさんに「絶対山へ出掛けてはダ
メェェェェェ!」と、連日注意されていることが頭から離れよ
うとはしない。朝から続いていた頭痛も一向に治らない。
左目の奥にかなり鋭い痛みを感じながらハンドルを握る。妻
は何も言わずワン君たちの食糧を積み込むのを手伝ってくれる。
五色台へ登っても、太郎も権兵衛も誰もいないだろうというこ
とを解っていながら出掛ける気持ちがわかっていたのであろう。
「コロの缶詰を岬のおじいさんに預けなければ・・・・・」理
由にもならない言い訳をしっかりと頭に刻み込み、ひろじいさ
んの「ふにぃー」と怒った姿を打ち消しながら、車で溢れそう
になっている国道を五色台へ向かう。
シートヒーターのスイッチを入れ暖房をフル回転しても足下
の冷たさがとれない。外気温は五度を指したままである。
五色台への進入路に差し掛かった辺りから車が急に少なくな
る。車内の暖房も効いてきてやっと一息入れながら海岸沿いの
うねった路を岬へと急ぐ。
オートバイ族のお兄さんたちが屯している岬に着いたときに
は、既に四時を回っていた。狭くて急な石の階段を缶詰のケー
スを肩に登り、おじいさんの家の玄関前に着く。
ケースを降ろし合図の口笛を吹いてみる。家の裏の斜面から
コロがくねくねと身体をねじりながら跳び下りてくる。岬の駐
車場に下り、急いで缶詰を開ける。
トレーに盛りつけるのも待てないようにコロが催促する。が
つがつと三缶ほどを胃の中に流し込んだコロがじゃれてくる。
ちゃんと食餌をしているようで、毛艶もよく精悍さも失ってい
ない。クロはやはり出てこない。
窪地に立ち寄る。枯れた草の上にビニールの袋が散乱してい
た。茶や名無しの生活の跡は感じられない。樹々の葉が落ち見
通しが格段に良くなった登山道路を登り自然科学館前の駐車場
に車を停める。
一台の車も停まってはいなかった。口笛を吹きながら周辺を
探してみる。芝生広場にも、胡桃たちの旧居の周辺にも、大五
郎たちが遊んだ茂みの中にも、太郎たち一家の棲んでいる様子
はうかがえない。
座り込みたくなる気持ちを抑えながらトイレの裏の崖をゆっ
くりと下りてみる。茨がセーターに刺さりうまく動くことがで
きない。
十メートルほど下の枯れ葉が敷き詰められた斜面に赤いもの
が見える。茨に阻まれてなかなか近づくことができない。やっ
とたどり着く。
いつも使っていたあの丸い大きな寿司桶であった。手にとっ
て眺める。何処も汚れていない。きっと仔犬を育てていた「さ
くら」が、トイレの裏に置いたこの寿司桶一杯の食糧を、この
場所まで運んできたのであろう・・・・・
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胸が詰まってきて動けなくなる。恐らく周辺に何個かの寿司
桶があるのだろう・・・・・息の続く限り口笛を何度も何度も
吹いてみる。山裾から犬たちの啼き声が帰ってくる。もう一度
吹く、何頭かの犬の声が聞こえる・・・・・
空の寿司桶を手に滑りそうになる落ち葉を踏みしめながら車
に戻る。ドライフードを山盛りにしてトイレの裏のいつもの場
所に、手を合わせながら置く。
近くをもう一度捜索して、山裾の窪地を通り過ぎ、山上から
聞こえた犬たちの声のした集落に着く。山上を見上げられる広
場に車を停めて口笛を吹いてみる。聞こえてきたのは近くの人
家からのワン君たちの声であった。岬のコロにもう一度会い山
道を下る。
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薄暗くなった貯木場を一周しても犬たちの姿は見当たらなか
った。諦めきれないままに元来た道を引き返し始めた視線の中
に、ぼんやりと犬のようなシルエットが飛び込んでくる。道端
で座っているように見えた。
ライトをつけゆっくりと近づく。嬉しかった! 神社に貰わ
れていった「ケビン」の兄弟の雄犬君であった。随分大きくな
っている。鼻を鳴らしにじり寄ってくる。トレーに乗せた犬缶
を食べながら、嬉しそうに尾を振り鼻を鳴らす。
しゃがみ込んでお腹を撫でているとき、兄弟犬であろうあの
ひ弱そうなオフホワイトの仔犬君も何処からか出てきてすぐ横
で尾を振って食餌を無心する。
トランクからケースを降ろし、犬缶を開けドライフードを盛
りつける。いつの間にかいなくなったのではと半ば諦めかけて
いた親犬を初めとする一家が周りに集まってくれていた。
全員で五頭! 真っ黒い親犬が鼻を擦り寄せてくる。びっこ
をひいた茶色のワン君も、少し大きめの薄茶のワンちゃんも、
みんな警戒心もなく側に来て洋服に着いた匂いを嗅ぎ手を舐め
てくれる!
犬缶もドライフードも、ありったけの食糧を周辺に置き、やっ
と仲間として認めてくれた貯木場の一家の夕餉の様子を見つめ、
少しだけ痛みの軽くなった胸を撫でながら帰路に着く。
十二月二十三日木曜日
胡桃の子大五郎が産まれて一年十一日
前日からの激しい季節風が和らぎ雪雲の間からキラキラと
星が光り始める。
気温三度 微風 薄曇り
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