赤紙
召集令状のこと。実際はピンク色。出頭するべき日時、部隊名が書かれている。地方自治体の役人が「おめでとうごさいます」といって届けに来た。
アッツ島
1943年5月12日、一万一千の米軍がアリューシャン列島アッツ島に反攻上陸。第七師団から派遣されていた約二千六百の守備隊との間に壮絶な攻防戦が展開された。周辺の制海権を失っていた日本軍は増援の見込みが立たず、アッツ、キスカ二島の放棄を決定。見殺しにされた守備隊は5月29日、最後の突撃を敢行し全滅した。以後続く孤島守備隊玉砕の端緒を開いた。
宇品港
原子爆弾を落とされた広島市の港。日清戦争の兵站基地になり、第二次大戦時は陸軍輸送部が置かれていた。そのため多くの将兵がこの港から戦線へ送り出された。
ガダルカナルの戦い
ガダルカナルは太平洋南西部ソロモン諸島最大の島。1942年8月から43年2月まで日米間で繰り広げられた同島の争奪戦をいう。以後のアメリカによる反攻の起点となった。日本軍は作戦的に失敗し、兵力を集中できず二万人近くを失い大敗を喫した。アメリカの近代兵器ばかりでなく飢えと病気にも苦しめられたさまは、しばしばこの世の地獄にたとえられ多くの芸術作品のモチーフになった。
金鵄勲章
1890年制定。武功の優れた軍人、軍属に与えられた。功一級から七級まであり、どれも終身年金が付いていた。一般の兵隊は六級までしかもらえない。金のトビとは日本神話に登場する聖なる鳥にちなむ。
軍人勅諭
1882年に明治天皇が下した。素直に読めばなかなか立派な内容なのだが、深く読み解かれることはなく、天皇への絶対的服従のみが強調された。
参謀本部の地図
日本の地図作成は1888年から1945年まで参謀本部陸地測量部が行った。現在は国土地理院が業務を引き継いでいる。
支那事変
1937年7月7日の蘆溝橋事件に端を発する。以後、45年に日本が降伏するまで泥沼のような戦が続き、十五年戦争、ひいては第二次大戦の一部となった。明らかな戦争なのだが、日本政府は正式な宣戦布告をせず、これを事変といい続けた。主な相手は蒋介石の国民政府。そのほかに毛沢東の八路軍とも闘った。長い戦いは日中双方を苦しめた。支那は侮蔑的呼称、と中国側が訴えているので「日華事変」と呼ばれることもある。最近では、より本質を表わした「日中戦争」の呼称を用いる場合が多い。
防毒面
日本軍は細菌・化学戦の研究が進んでおり、中国戦線では実際に兵器使用に至ったといわれている。防毒面なども充実、普及しており一般的な装備にまでなっていた。
陸軍士官学校
現役将校養成機関。三年制の陸軍幼年学校からここに進学し、任官後陸軍大学校に入るのがエリートのたどる一般的なコース。
レイテ島
1944年10月のレイテ沖海戦で海軍連合艦隊は壊滅し、日本軍はフィリピンの制空、制海権を失った。このころから飛行機による自爆攻撃、いわゆる「カミカゼ」攻撃が始まる。レイテ島の陸軍七万は二十五万のマッカーサー軍に包囲され、消耗戦に突入し年末までに各地で玉砕した。